宗谷線から日豊線まで、全国「峠越え」鉄路の記憶 勾配とカーブ続く「難所」に挑んだ機関車の力闘
中国地方の木次線は、出雲横田から出雲坂根を経て三井野原までの間が33‰の急勾配区間で、かつては出雲坂根を挟む三段スイッチバックをC56形がよじ登るように力闘していた。出雲坂根駅構内には息継ぎの銘水「延命水」が今も旅人の憩いのオアシスになっている。
阿蘇山や霧島などの山々を擁する九州南部は峠越えの鉄道が多い。阿蘇山の外輪山を33‰の急勾配で登る難所が豊肥本線立野―赤水間に位置する三段スイッチバックだ。かつてはD50形や、8620形の牽く「あそBOY」が力闘した区間だ。今も阿蘇を越えるにはこのスイッチバックを経てカルデラに入らなければならない。
不通や無人化、かつての栄華はいずこ
現在は水害による不通が続いているが、人吉から鹿児島県に至るルートは昔から「大畑越え」「矢岳越え」の難所が立ちはだかっていた。大畑越えは雄大なループで勾配の緩和を図り距離を稼ぐ鉄道で、かつては峠越え用の重装備D51形が力闘していた。大畑駅構内には当時の給水塔が残る。
矢岳駅はこの区間の最も標高の高い場所(536.9m)に位置する駅で、駅前にはかつて力闘したD51形が重装備のまま保存されている。サミットの矢岳駅と吉松駅の間にある真幸駅は大規模なスイッチバックがあり、かつては観光客で賑わっていたが現在は不通なのが残念である。
このほか、日豊本線田野から山之口に至る「鰐塚越え」は筆者には思い出多い峠の鉄道である。1974年には限定運用ながらC57形が定期急行「日南3号」を牽いて峠を越えたのだ。だが、現在はサミットの青井岳は無人化されている。栄華を誇った「峠の鉄道」の多くは廃止されたり、バイパスができたりして、かつての風情を漂わせるだけの路線も多くなってしまった。
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