ブルトレから貨物まで「国鉄型電気機関車」の記憶 静かに消えゆく、日本の発展を支えた力持ち
今や日本の鉄道は電車が全盛となり、JR線上では2016年の急行「はまなす」の廃止で機関車が牽引する客車の定期列車はなくなってしまった。貨物列車の牽引では活躍を続けているものの、鉄道ファン以外の人から見れば、電気・ディーゼルを問わず機関車は縁の遠い存在であろう。
だが、日本の鉄道を長らく支えてきたのは機関車の存在であり、中でも本線の輸送を担う電気機関車はその主力だったといえる。今回は、特急列車から貨物列車まで、かつての国鉄が生んだ電気機関車の数々を紹介したい。
戦前型は「デッキ付き」が主流
日本では明治時代、鉱山やトンネル工事用などとして電気機関車が使われるようになったが、国鉄で最初の電気機関車が導入されたのは1912年、信越本線の碓氷峠(群馬県・長野県)だ。急勾配かつ、トンネルが多いことから乗客や乗務員が蒸気機関車の煤煙に苦しめられていた区間で、ドイツから輸入されたアプト式機関車EC40形(当初は10000形)が使用された。この機関車は今も軽井沢で見ることができる。
当初はアメリカやイギリスなどからの輸入に頼っていた電気機関車の本格的な国産化の始まりとなったのは、1926年に登場した日立製作所製のED15形だ。この機関車は成功を収め、鉄道省(国鉄)は国産化を推進。1928年には本線用の大型機としてEF52形が誕生した。EF52形は動力を伝える車輪(動輪)のほかに、カーブ通過時のスムーズな走行のために先頭部に「先輪」といわれる車輪があり、その上に「デッキ」を設けたスタイルだった。
この「デッキ」付きはその後、戦後に至るまで標準的な電気機関車の形態となり、1931年に登場した勾配区間用のED16形なども踏襲した。
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