ブルトレから貨物まで「国鉄型電気機関車」の記憶 静かに消えゆく、日本の発展を支えた力持ち

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EH10形は関ケ原の勾配区間で1200トンの貨物列車を牽引できる大出力の機関車で、真っ黒な箱型ボディに黄色いラインを入れた精悍な姿は見るからにパワフルさを感じさせた。

関ケ原 EH10
関ケ原を走るEH10形牽引の貨物列車(撮影:南正時)

昭和30年代半ばに入ると昼行の特急・急行列車には電車の進出が進んだが、貨物列車の需要は旺盛で、旅客列車もブルートレインをはじめとする夜行特急や急行用としてさらに高性能の機関車が求められた。

代表的なのは1965年から製造されたEF65形だ。寝台特急向けの500番台P形、高速の重量貨物列車と旅客列車牽引の双方に対応する1000番台PF形などが登場し、前者は1978年まで、後者はそれ以降ブルートレインの牽引に活躍。当時社会現象となった「ブルトレブーム」をも牽引したのである。

EF65P 20系あさかぜ牽引
ブルートレイン「あさかぜ」を牽引するEF65形500番台(P形)。20系客車を牽いて東海道本線掛川付近を走る=1976年(撮影:南正時)

そして、国鉄最強を誇る電気機関車としてデビューしたのがEF66形である。1966年に試作機が登場、1968年以降に本格投入された。1000トンの貨物列車を特急列車並みの時速100kmで牽引できるパワーを持ち、その斬新なデザインが人気を集めた。ブルートレインの先頭に立てば……と思う鉄道ファンも多かったが、1986年からついにブルトレの牽引に抜擢された。

貨物牽引 EF66
貨物列車を牽いて東海道本線湯河原付近を走るEF66形=1976年(撮影:南正時)

真っ赤な「交流電気機関車」の登場

日本の鉄道の電化は直流方式でスタートしたが、直流は送電ロスが大きく変電所が数多く必要で、地上設備のコストが高くなる。一方、交流電化は送電ロスが少なく、車両はやや高価になるが地上設備が減らせる特徴がある。1955年に仙山線で交流電化の試験が行われ、1957年には北陸線電化の前に敦賀において日本初の交直両用電車の試験も実施された。

その後、国鉄は北陸・東北・北海道・九州地区の主要路線を交流電化し、数々の交流用電気機関車を投入した。茶色や青の直流電気機関車に対して赤い交流電気機関車はひときわ目立つ存在となった。

ED71形 東北本線
東北本線で貨物列車を牽引するED71形(撮影:南正時)

交流電気機関車をめぐってはこんなエピソードがある。交流電化はフランスの機関車を参考に試作機を開発したが、実際に電化する際にはフランス製機関車を大量購入することが求められていた。国鉄はこれに難色を示し、試作機の技術を投入して国産機関車を量産。フランス国鉄は激怒したという。

筆者が1970年代にフランス国内で鉄道写真を撮っていると、決まって年配の駅員や機関士が来て「機関車の写真を撮っちゃダメだ」と厳しく撮影を阻止されたことがあった。後日、ある国鉄の技師に聞くと、「まだ交流機関車の恨みを持っているんだ」と言い、交流電化時の一件の「しっぺ返し」だろうと話してくれたことがある。

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