ブルトレから貨物まで「国鉄型電気機関車」の記憶 静かに消えゆく、日本の発展を支えた力持ち
交流電気機関車の本格的量産車は、1957年10月の北陸本線田村―敦賀間の交流電化開業時に登場したED70形で、仙山線で試験が行われていた試作機関車ED45形をベースに開発された。筆者の印象では、心なしかコンパクトな車体と相まって、スイスの電気機関車に似ていると思ったことも事実である。
1963年に登場したED75形は全国の交流区間で大活躍し、東北地区用の0番台、700番台、1000番台が、北海道には試作500番台、九州地区には300番台など総数302両が製造され交流機関車のスタンダードとなった。筆者もさまざまな路線でED75形牽引の列車を撮影している。
交流電気機関車といえば、思い出深いのは奥羽本線の難所、板谷峠用の勾配区間に投入されたEF71形とED78形だ。今は山形新幹線が走る同区間だが、かつて「つばさ」がディーゼル特急だった時代はこれらの補助機関車を連結して走り、普通列車はミニ新幹線化による改軌まで電気機関車牽引による客車列車として運転された。
消えゆく国鉄型電気機関車
交流電化で忘れてはならないのが、直流区間と直通できる交直両用機関車の存在だ。量産機としての始まりは、1960年に関門トンネル用として登場したEF30形だ。これは特殊な区間用だが、その後交流電化が進展するとともに各地に普及。1962年には取手以北で交流電化が進みつつあった常磐線にEF80形が投入され、寝台特急「ゆうづる」などにも使用された。
交直両用機関車の代表格は、現在も活躍を続けるEF81形であろう。1968年、日本海縦貫線の電化完成と共に直流と交流50・60ヘルツ対応の3電源方式として、実質的に国鉄(JR)在来線の電化区間すべてを走れる機関車だ。JR化後は「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」などの牽引にも活躍。長らく各地で運用されてきたが、新型機関車の投入により終焉が見えつつある。
ちなみに、国鉄の電気機関車の最終形式は山陽本線の瀬野八越えの貨物列車の補機として1982年から使用を開始したEF67形で、青い塗装が標準の直流電気機関車にあってオレンジ色の塗装で親しまれたが、惜しまれつつ2022年に退役した。
長らく日本の鉄道を支えてきた電気機関車は、国鉄型に絞ってもその形式は多種にわたり枚挙にいとまがない。長年にわたって捉えたさまざまな電気機関車の姿は写真のページでお楽しみいただきたい。
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