宗谷線から日豊線まで、全国「峠越え」鉄路の記憶 勾配とカーブ続く「難所」に挑んだ機関車の力闘
本州での峠越えの白眉は上越線の「上越国境越え」であろう。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」と川端康成の『雪国』の冒頭に描かれている、群馬・新潟県境の谷川岳を貫く全長9702mの清水トンネルが完成したのは1931年9月。当時日本最長だったこのトンネルの開通により、高崎―宮内間が全通した。1967年9月には全長1万3500mの新清水トンネルも完成し、上越線は全線の複線化が完了した。
当初から水上―石打間は電化されており電気機関車が活躍したが、この区間用の補機として投入されたのがEF16形だ。EF15形を改造した機関車で、奥羽本線板谷峠と上越線で使われた。奥羽本線では1964~1965年にかけて当時新型のEF64形に置き換えられ、上越線に移籍。上越線では1980年代にEF64形1000番台に置き換えられるまで活躍を続けた。
D51形が活躍した中央本線や関西線
そんなEF64形の活躍の場といえば、中央本線の小仏峠、笹子峠、鳥居峠が挙げられるが、電化前はD51形による峠越えの歴史がある。
中央本線の列車が乗り入れる篠ノ井線の「姨捨越え」は根室本線の狩勝峠越え、肥薩線の矢岳越えと共に「日本の車窓三大風景」と言われている。善光寺平から標高551mの山の中腹に位置する姨捨駅へは、かつてはD50形やD51形といった強力な蒸気機関車が急勾配に挑んでいた。
勾配区間にある姨捨の駅舎はスイッチバック構造で、普通列車は水平区間のホームに停車するが、特急「しなの」や貨物列車は勾配区間を通り抜けていく。貨物列車を牽引する機関車は「ブルーサンダー」ことEH200形で中央線、上越線などの山岳路線用に開発されたハイパワー機関車だ。姨捨越えを行くEH200形は見応えがある。
山岳路線が少ない近畿地方にも峠越えはある。関西本線加太―柘植間には鈴鹿山脈の南麓を越える「加太越え」が蒸気機関車の時代からよく知られてきた。亀山からのD51形牽引貨物列車は後部補機を従えて急勾配に挑んだ。現在は貨物列車はなく、気動車が1両でエンジンを響かせスイスイと勾配区間を走っている。
播但線の新井―生野間も連続25‰の急勾配がサミットの生野駅手前のトンネルまで続き、SL時代はトンネル通過中に煙に巻かれた乗務員が死亡するという事故もあった。現在は気動車が難なく勾配を行く。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら