国鉄からのと鉄道まで「能登を彩った列車」の記憶 蒸気機関車や急行気動車、パノラマ車両が活躍
2024年の元日、新年の祝賀ムードを一気に吹き飛ばした能登半島地震。最大で震度7の揺れと津波によって甚大な被害が発生した能登半島の各地は、それから1年を経ても復興がなかなか進まないようだ。
能登半島は筆者の鉄道写真家人生と深く関わりのある思い出深い地域である。最初は蒸気機関車(SL)を追って訪れ、日本の原風景ともいえるその景色に魅了されて半世紀以上、ほぼ毎年のように通い続けた。復興加速への願いを込めて、能登半島の鉄道について語ってみたい。
「写真家デビュー」と七尾線のSL
初めて能登半島の鉄道を撮影したのは1971年のお盆、実家のある武生(福井県)に帰省する途中に七尾線に立ち寄ったときだ。当時、帰省には周遊券を使っていたので北陸地方の鉄道各線を訪問するのは簡単だった。
七尾線を訪れたきっかけは映画『父ちゃんのポーが聞える』(1971年東宝・石田勝心監督)だった。実話を基に難病を患う少女とその父の国鉄機関士を描いた作品で、父の鳴らすSLの汽笛が娘の療養生活の支えとなる。ロケは七尾機関区などで行われ、国鉄が全面協力していた。この映画の撮影の情報を知り、公開前に現地を訪れたのだった。
映画に主に登場したのはC56形の123号機で、赤いナンバープレートが印象的な機関車だった。筆者が七尾線を訪れた際もこの機関車が活躍しており、撮影した写真は写真家デビュー作となった『漫画アクション』のSL特集ページに掲載された。
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