国鉄からのと鉄道まで「能登を彩った列車」の記憶 蒸気機関車や急行気動車、パノラマ車両が活躍
1971年に七尾線のC56形を撮影したのをきっかけに、能登半島の里山と海、そして鉄道の織りなす風景に魅了され、毎年帰省の際にはほぼ必ず寄るようになった。初訪問の際はカメラは35mmだけを持っていったが、翌年からは中判カメラを持って本格的に撮影に取り組んだ。『鉄道大百科』シリーズも、とくにSLは能登で撮影した写真が多い。
金沢から七尾線に乗るとしばらくは単調な景色が続くが、現在はのと鉄道となっている七尾から先は海と山、そして里山の美しい風景が展開する。50回以上通った能登半島でもっとも思い出のある土地を1つ挙げるのは難しいが、当時頻繁に訪れたのは能登中島―西岸間の、棚田から線路、そして穴水湾を見下ろすまさに能登半島らしい風景の場所である。
ここで引退間際のSLや、急行列車ながらキハ20形などの一般形気動車を連結した急行「能登路」などさまざまな列車を撮影した。
「峠越え」能登三井駅の思い出
SLブームに沸いていた当時、能登半島には「ふるさと列車おくのと」号というSL牽引の列車が走っていた。1970年から1973年にかけて金沢―珠洲間を結んで走った季節列車で、SLイベント列車のはしりともいえる。金沢―穴水間はC58形、穴水―珠洲間はC11形による牽引で、車内をお座敷仕様としたスロフ53形など赤帯の客車を連ねており絶好の被写体だった。この列車も能登中島―西岸間でよく撮影したものだ。
今は廃止になってしまった七尾線の能登三井―穴水間もよく通った場所だ。とくに能登三井駅は非常に印象に残っている。当時としては何の変哲もない交換駅だったが「峠の駅」の雰囲気があり、急行列車の停車駅でもあった。ここは国鉄時代からのと鉄道に引き継がれた後、さらに廃線後もよく訪ねているところである。
この区間は能登半島の背骨を越える山間部で、1000分の25(1000m進むたびに25m上る)の急勾配とカーブが続いていた。SLだけでなく気動車も車輪を空転させながら、スピードを落としてこの難所に挑んでいた。
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