国鉄からのと鉄道まで「能登を彩った列車」の記憶 蒸気機関車や急行気動車、パノラマ車両が活躍

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

1971年に七尾線のC56形を撮影したのをきっかけに、能登半島の里山と海、そして鉄道の織りなす風景に魅了され、毎年帰省の際にはほぼ必ず寄るようになった。初訪問の際はカメラは35mmだけを持っていったが、翌年からは中判カメラを持って本格的に撮影に取り組んだ。『鉄道大百科』シリーズも、とくにSLは能登で撮影した写真が多い。

七尾線 C56 123
映画にも登場した赤いナンバープレートのC56形123号機が七尾線を走る=1971年8月(撮影:南正時)

金沢から七尾線に乗るとしばらくは単調な景色が続くが、現在はのと鉄道となっている七尾から先は海と山、そして里山の美しい風景が展開する。50回以上通った能登半島でもっとも思い出のある土地を1つ挙げるのは難しいが、当時頻繁に訪れたのは能登中島―西岸間の、棚田から線路、そして穴水湾を見下ろすまさに能登半島らしい風景の場所である。

ここで引退間際のSLや、急行列車ながらキハ20形などの一般形気動車を連結した急行「能登路」などさまざまな列車を撮影した。

能登中島 西岸 ふるさと列車
穴水湾を望む棚田が広がる能登中島―西岸間を走るC56形とC11形の重連牽引「ふるさと列車おくのと」号(撮影:南正時)
【写真】さまざまな気動車を連結した急行「能登路」。急行型だけでなく一般形のキハ53形やキハ20形もつないだ編成

「峠越え」能登三井駅の思い出

SLブームに沸いていた当時、能登半島には「ふるさと列車おくのと」号というSL牽引の列車が走っていた。1970年から1973年にかけて金沢―珠洲間を結んで走った季節列車で、SLイベント列車のはしりともいえる。金沢―穴水間はC58形、穴水―珠洲間はC11形による牽引で、車内をお座敷仕様としたスロフ53形など赤帯の客車を連ねており絶好の被写体だった。この列車も能登中島―西岸間でよく撮影したものだ。

ふるさと列車おくのと
赤帯の客車を連結した「ふるさと列車おくのと」号=1973年9月・能登中島―西岸間(撮影:南正時)

今は廃止になってしまった七尾線の能登三井―穴水間もよく通った場所だ。とくに能登三井駅は非常に印象に残っている。当時としては何の変哲もない交換駅だったが「峠の駅」の雰囲気があり、急行列車の停車駅でもあった。ここは国鉄時代からのと鉄道に引き継がれた後、さらに廃線後もよく訪ねているところである。

能登三井駅
のと鉄道転換後の能登三井駅。新塗装になったJRの急行気動車とのと鉄道のパノラマ気動車NT800形が交換する(撮影:南正時)

この区間は能登半島の背骨を越える山間部で、1000分の25(1000m進むたびに25m上る)の急勾配とカーブが続いていた。SLだけでなく気動車も車輪を空転させながら、スピードを落としてこの難所に挑んでいた。

関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事