いまから130年近く前の1896年。かの文豪・夏目漱石が九州鉄道の池田駅に降り立った。『坊っちゃん』のモデルになったという松山中学での勤務を終えて、熊本第五高等学校(のちの熊本大学)に赴任したのだ。
熊本の北の玄関口
池田駅はその後、上熊本駅という名に改め、長らく熊本市の北の玄関口として存在感を示してきた。
1913年に竣工した2代目駅舎は九州新幹線開業に伴う在来線高架化によって役割を失い、一部を保存のうえでいまは熊本市電の上熊本停留場の駅舎として使われている(ちなみに漱石が降り立ったのは2代目駅舎ができるより前のこと)。
目の前の大通りを挟んだところには夏目漱石の像が建つ。その大通りの名は、「わが輩通り」。漱石というと伊予松山のイメージも強いが、熊本だって立派に縁のある土地なのである。
さて、そんな熊本だが、漱石が降り立った1896年にはどこまで鉄道が通っていたのだろうか。まだ当時の九州は、国営の鉄道は存在していなかった。いまの鹿児島本線の一部が、九州鉄道によって着々と建設されていた、ちょうどその時期にあたる。
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