大阪府の東大阪市に、会社員の父親と、パートをしている母親のもとで生まれ育った山下さん。保育園のときからKUMONに通い、勉強にも励んでいました。
「保育園の年長のときには掛け算ができた」と語る彼は、当時から1つのことに集中したら永遠にやり続ける性格でした。小学校4年生までは優等生で、テストはほぼすべて100点だったそうです。
しかし小学校5〜6年になると、勉強をする意味がわからなくなって、最低限の勉強だけで済ますようになりました。
「親が近くの中学校が荒れていることを嫌がって、近畿大学の附属中学を受ける話もあったのですが、僕は『なんで遠くの中学校までチャリンコに乗っていかないとあかんねん』と思っていました。今、自分は親のために勉強しているわけではないよなと思い、そのまま近くの公立中学校に進みました」
中学に入ってからも、人生に勉強は必要ないと思ってしまい、宿題をしなくなり、授業中にグラウンドにいたり、学校を抜け出してしまうこともありました。グレたわけではないそうですが、「先生からしたら、隠れ不登校扱いでしたね」と当時を振り返ります。
進路選択の時期にみるみる自信を喪失
勉強に興味を持てなくなった山下さんですが、小学校でやっていた野球は、中学に入ってからも続けました。平日は部活動、土曜日は部活が終わってから地域の軟式の野球チームの練習に参加していました。
「地域の野球チームも1年生のときからずっとレギュラーでしたし、部活動のほうでは2年生から4番を任せてもらいました。強いチームではなかったのですが、私自身うまかったので楽しかったですね。部活で大阪府の大会にも出られたし、チームの中の有力選手としてその出場に貢献できたというのも、自分の中で優越感を保ててよかったです」
有力選手だったため、いくつかの高校からもスポーツ推薦をもらっていましたが、中3の進路選択の時期に強豪校の練習を見に行き、みるみるうちに自信を喪失してしまいました。
「とてもじゃないけどレギュラーになれる感じではなかったです。部員が100人いて、1軍と2軍に分けられているところで競争させられるわけで、これで3年間を過ごせる自信がありませんでした。試合に出られない状態が続くなら、公立で野球部が強いところに行ったほうが試合に出られると思い、当時、大阪府のベスト8に残るほど強かった東大阪市立日新高等学校の商業科を目指して受験勉強しました」
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