W202は、DTM(ドイツツーリングカー選手権)にも参戦。これは、「190E 2.5-16」の後継としての役割を果たしたことになる。これでスポーツ志向の強い層への訴求も図れた。パワーを求める時代への素早い対応が、市場での足場固めに役だったのだ。
余談だが、190E 2.5-16はすごいクルマだった。コスワース製エンジンと5速MTの走りは実にパワフルであったが、これはまたいつか稿を改めてお伝えしたい。
「最善か無か」を感じられる最後のモデルとして
W202については、書くべきことがじつに豊富にある。ここで述べてきたように、メルセデス・ベンツの過去と未来とをうまく橋渡ししたモデルだったからだ。
いや、“橋渡し”は本来の意図とは違っていたかもしれない。はからずも時代の変化が、メルセデス・ベンツに「質から量」への転換をうながしたともいえるからだ。
同社が方針転換をしはじめたと感じたのは、1996年の初代「SLK」や、続く1997年の初代「MLクラス(Mクラス)」あたりだ。デザインが派手になり、作りの印象も質実剛健さが薄れたように私には感じられた。
映画『ジュラシックパーク』にはMLクラスが登場していた。このときメルセデス・ベンツは米アラバマの生産工場を稼働させており、イメージアップで北米市場を拡大するのが目的だったのだろう。
SLKのスーパーチャージャー付きエンジンも、実のところ自然吸気で開発していたものが、意図したほど出力が上がらず、最終的に過給化を選ばざるをえなかった、と私はエンジニアから“告白”されたことがある(正直なところがこの会社の大いなる魅力でもある)。
とまぁ、W202について書いていると、妙に懐古趣味が出てきてしまう。でも、いま乗ってもしっかり走ってくれるだろう。そう思えるほど、W202はいいクルマだった。「最善か無か」のつくりを感じられる最後のモデルとして、いまも魅力は薄れていないと思う。
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