トランプ暗殺未遂から聞こえる戦争への足音 「貧すれば鈍する」民主主義を破壊するもの

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それは当然なのだ。人々の多くは、個人の私的生活の豊かさに関心があるが、公的な政治には本来関心があるわけではないからである。

そのことを明確に示したのが、フランス革命の狂乱時代を生き抜いた、18世紀のフランスのバンジャマン・コンスタン(1767~1830年)である。彼の「近代人の自由と古代人の自由」という講演は、完全な民主主義を実現しようとするものが陥る狂気について書いている。

民主主義を強く志向する者の狂気

アテネのような古代人は、自ら政治に関心をもち、身を捧げることを自由の表現だと感じていたが、近代人は公的な政治よりも、私的な快楽に興ずることを自由の表現だと考えているというのである。

「古代人の目的は、祖国を同じくするすべての市民の間で社会的権力を分有することにありました。彼らはそれを自由と呼んだのです。近代人の自由は私的な快楽のうちに安寧に暮らすことであり、彼らが自由と呼ぶのは制度がこうした快楽に与える保証であります」(『近代人の自由と古代人の自由、征服の精神と簒奪』堤林剣、堤林恵訳、岩波文庫、2020年、30ページ)

 

近代人はまさに利己心の塊で、自分たちの個人的な快楽をより大きくするためにのみ、民主的制度を望んでいるということである。

それは、とりわけ政治を他人に任せ、自らは商業に励むことで、利益を上げ、自らの快楽を楽しむことができるからである。その限りで言えば、政治は誰か他の人にやってもらえばいいと考えているのである。

誰も彼もが国家の政治に関心を持ったフランス革命の嵐の時代を体験したコンスタンだからこう言えたのである。

それぞれが政治に関心を持ちすぎたことで、国家権力に魅せられて、反対意見を持つ者を抹殺していったあの恐怖政治時代の世界では、すべての人間が政治的でなければならなかった。それぞれが確信する共和制を実現するために、反対者を抹殺していったのである。

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