メルカリ「フルリモート廃止?」に私が感じたこと 一体感を得るには「ある種の非効率さ」も重要だ

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しかし、このウワサが拡散するのは、きっと人々の心にフックをかけたからに違いない。早く全面的にリアル職場に戻すべきだと考えている人は「おっメルカリも、やはりリアルが良かったということか」と考えてコメント付きで拡散した。逆にリモートの利便性を信じる人は「リモートがこれからの働き方であるにもかかわらず残念だ」と考えて拡散した。

「リモートかリアルか」の不毛な議論を超えて

ところで、私はコンサルティングに従業している。かつて「情報交換してくれませんか」と地方都市に呼ばれて行ってみたら、ろくな情報ももらえず、往復時間がムダになっただけの経験が何度かある。その先の仕事にもつながらない。なかには「あれ、本日、約束していましたっけ?」と言われた経験もある。それが最近は、こちらからウェブ会議でどうですか、と提案できる。かなり効率化した。

と同時に、営業のとき、最後の一押しで先方に乗り込み、そして食事を重ねて受注したことが幾度もある。またリアルで会っているときに、長い会話のなかで、意図せず教えてもらったことがビジネスのヒントになった経験もある。

この、リモートかリアルか。どう考えればいいのだろうか。私見を述べる。

①前提「会社の目的は価値の最大化」

当然ではあるが、会社という組織は、社員の成長や働きやすさというのは過程や手段であって、株主のために価値を最大化する目的を有している。上場企業では株価の上昇を目指し、かつ非上場企業であっても将来の利益を最大化するために活動する。

経営者はリアル職場に社員を集めたほうが利益は最大化すると考えれば集めるだろうし、それは経営者の裁量だ。もしリアルな職場に集まりたくないと、社員が辞めて業績が悪化すれば淘汰される。また業績が良好だが、リアルな職場でしか勤務を認めない会社があったとする。そこで働くかどうかは、社員個人の自由意思に委ねられている。

アメリカのIT企業経営者が週に何回かの出社を求めたり、全日の出社を求めたりするのも、価値の最大化が達成できると考えるゆえだ。リモートのままのほうが価値は最大化すると信じるならばそのままにするだろう。

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