紫式部「宮仕え」友達に言えぬ程恥ずかしかった訳 宮中での煌びやかな印象とは対照的な見方
「手紙を交わした友達も、宮仕えに出た私をどれだけ恥知らずで、思慮のない者と軽蔑しているかと思うと、それさえも、恥ずかしくて、とてもこちらから、手紙をやることなんてできない」
現代に生きるわれわれから見ると(何もそこまで思わなくても。きっと大丈夫だよ。友達もそんなこと思っていないよ)と励ましたくなりますが、それが紫式部の宮仕えに対する実感だったのです。
煌びやかな印象とはかけ離れた生活
紫式部は更に続けます。「奥ゆかしい生き方をしようと思っている友達は、私などに手紙を出せば、どうしても人目に触れる扱いをされると心配しているようだから、私というものをそんなに信頼してくれない人に、どうして私の思いがわかってもらえよう。しかし、宮仕えの身であれば、向こうが警戒するのも当然。自然と疎遠になる人も多い。実家に帰っても、訪れる人も少ない」と。
紫式部は未亡人となった寂しさを物語を作り、それを友人に見せることで紛らわせてきましたが、宮仕えにより、それも難しくなったようです。宮仕えというと、煌びやかで、女房たちもさぞかし自信満々、喜んで勤務していることと思いがちですが、決してそうではなかったのでした。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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