紫式部「宮仕え」友達に言えぬ程恥ずかしかった訳 宮中での煌びやかな印象とは対照的な見方

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

清少納言はそのような男たちを「憎い」と述べつつも、「しかし、実際に考えてみると、それももっともな点もある」と書いているのです。いきなり前言撤回かと突っ込みたくなりますが、まずは、清少納言の言い分も聞いてみましょう。

「天皇をはじめ、公卿・殿上人・その他、五位・四位といった貴族の人々はもとより、女房の顔かたちを見ない人は少ない。女房の従者や、実家からの使者、召使、下賤の者に至るまで、女房がそれら下々の者にも姿を見せないということがあっただろうか。もしかしたら、男性のほうが女房のように、誰にでも姿を見せるということはないのかもしれない」

男性たちが宮仕えを軽薄だと感じたわけ

現代人からしたら、清少納言が宮仕えの何をそんなに嫌がっているのか、今ひとつピンとこないかもしれません。

上流階級に属する女性は、他人にめったに姿を見せないことをよしとしていました。そうであるのに、宮廷に仕える女房は、前述したように、多くの者と接することになります。

そのことを軽薄だと世の男性は思い、清少納言も「そうかもしれない」と心のどこかで感じていたということです。

平安時代中期の公卿で日記『小右記』を書いたことで有名な藤原実資も、宮仕えについて「最近は、太政大臣や大納言の娘でも、父が死ぬと皆宮仕えに出るが、世間ではこれを嘆かわしいとしている。末代の公卿の娘は先祖の恥さらしというものだ」とまで日記に書いています。

また、関白を務めた藤原道隆の嫡男・伊周も「近頃は、高い身分の人の娘でも、皆、宮仕えに出るようだが、自分が死んだら、娘たちは好奇の目で見られることだろう。しかし、それは自分の恥になることだから慎んでほしい」との遺言を残したと言われています。実資よりはソフトな言い方ですが、やはり宮仕えは恥になることだと考えているようです。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事