「原爆のキノコ雲が高校の校章」町の住民が許す訳 映画「RICHLAND」で描かれる米国の町の光景
アメリカ・ワシントン州南部の町、リッチランドを描いたドキュメンタリー映画「RICHLAND(リッチランド)」が、東京・渋谷区のシアター・イメージフォーラムをはじめ全国で順次公開されている。
この町は第2次世界大戦中、核燃料の生産拠点で働く人と家族が住むためにつくられた。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われたが、住民は町の歴史に誇りを持ち、「原爆は戦争を早く終わらせた」と考える人が多い。
地元リッチランド高校の校章は原爆のキノコ雲、アメフトのチーム名は爆撃機を意味する「リッチランド・ボマーズ」だ。
日本から見ると信じがたいが、なぜ彼らはそう考えるのか? 映画は住民と町の歴史、放射能で人が住めなくなった大地を冷静に映し出す。初来日したアイリーン・ルスティック監督に話を聞いた。
キノコ雲の絵があらゆるところにある町
第2次世界大戦中、オッペンハイマーらが原子爆弾を開発・製造したマンハッタン計画で、核燃料の生産拠点となったのがワシントン州のハンフォード・サイトだ。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われ、その後の冷戦時には多数の核兵器の原料生産を担った。
現在は役割を終え、土地の除染や建物の解体が続けられている。このハンフォード・サイトで働く人のベッドタウンがリッチランドだ。
――なぜリッチランドという町に注目したのですか?
前作の撮影中、たまたま1日だけリッチランドで過ごすことになったんです。
原爆のキノコ雲の絵がレストランや学校の壁など、あらゆるところにあることに驚きました。あれほど暴力的なシンボルが日常の中にあり、住民は普通に受け止めている。どういうことなのか知りたいと思いました。
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