「先生の白い嘘」監督批判に感じるモヤモヤの正体 監督と作品へのバッシングは本質を見誤っている
正義感からの怒りかもしれないが、誠実に役柄を演じた奈緒さんはじめ、出演者や映画制作に関わった人たちがそれによって風評被害に遭ってしまうのは本末転倒だ。
三木監督についても、過去の監督のSNS投稿まで掘り返されて叩かれているが、こうした行為はむしろ問題の本質をぼやけさせてしまうという懸念もある。
第三者から見ると、ひとつの映画作品で起きたトラブルであるから、ひとつの問題として見えるかもしれない。しかし、問題の原因究明を行い、解決を考えるうえでは、問題の要素を切り分けて考える必要がある。
属人的な努力だけでは問題は解決しない
インティマシー・コーディネーターの問題に戻ろう。
今回の問題で、日本の映像業界で活動しているインティマシー・コーディネーターは2人しかいないという事実が明らかになっている。
また、ジャーナリストの松谷創一郎氏は、予算やスケジュールの面から見ても、インティマシー・コーディネーターを入れる余裕がある映画は少ないのではないか――という現実的な問題の指摘をしている。
本作のように、性加害を扱うような重いテーマの映画は、概して大ヒットが見込めるようなものでもない。それゆえ監督やプロデューサーの自主性や属人的な努力に委ねているだけでは、問題は解決できないように思う。
最近に限っても、『ミッシング』や『あんのこと』(ともに2024年)など、虐げられた女性の苦しみを描いた優れた日本映画が複数公開されている。こうした作品は、少数者の声を拾い上げ、社会喚起を行っていくという点でも重要であるし、今後も撮られ続けるべきであると思う。
是枝裕和監督などが、共助の仕組みをつくる団体の設立を呼び掛けたり、政府に支援を呼び掛けたりと、日本映画界の改善に向けた取り組みを行っている。
「個の集合体」として成り立ってきた映画界も、組織的な取り組みをしなければならない段階に来ている。
映画監督だけに責任を負わせるのではなく、配給会社や制作委員会もともに取り組むべきであるし、短いながらも輝かしい歴史を持つ日本の映画界の発展のためにも、国家レベルで日本映画界、エンターテインメント業界の健全な発展に取り組む必要がある。
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