改変しても脚本家が批判されないハリウッド事情 事前にどんな形で映像化されるか確認するのは困難

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(写真:USSIE/PIXTA)

「セクシー田中さん」の件をきっかけに、映像化における原作の脚色に注目が集まっている。そんな中、劇作家で演出家の鴻上尚史氏が、「原作者と脚本家の問題にしてはいけない」と発信した。

鴻上氏は、X(旧ツイッター)を通じ、「映像化において作品を改変しないで欲しいと要望する人と、製作側に一任する人に分かれるが、それは原作者個人の判断であり、問題は『変えないで欲しい』という原作者の意向を出版社がちゃんと伝えたのか、そしてそれをテレビ局がちゃんと受け入れたのか」であるとも主張。

もしそれが違っていた時に対応するのも、「原作者ではなく、原作者側に立つ出版社。それに対応するのも、脚本家の前にテレビ局、つまりプロデューサーだ」とも書く。

筆者はその意見にまったく同感だ。脚本家はプロデューサー、この場合はテレビ局に雇われているのであり、彼らの意向に従って仕事をするに過ぎない。原作に忠実にするのか、改変するのかについて、脚本家も意見はあるかもしれないが、大きな決定権は上層部にある。それを無視して上層部が気に入らないものを頑固に書き続けたなら、切られて別の脚本家に仕事を奪われるだけだ。

ハリウッドで映像化された場合

事情はハリウッドでも同じだ。だから、ハリウッドでも映像化された際に原作者やファンから文句が出ることは多々あっても、脚本家がターゲットにされることはない。批判の対象となるのは、作品のリーダーである監督と、その監督を選んで任せたプロデューサーとスタジオだ。

小説なり、グラフィックノベルなりの映像化権を売る時に、それがどんな形で映画あるいはテレビドラマになるのかをしっかり確認することは、ハリウッドでもそう容易ではない。

そもそも、映像化権が売れたら必ず映画かテレビになるわけではなく、ベストセラーになったり、賞をもらったりした出版物であっても、何年も形にならずにそのままになるケースはたくさんある。その間、プロデューサーや監督がやって来ては降板し、その都度方向性が変わり続けるということもしょっちゅうだ。脚本家が脚色しても、新たな監督が来てボツにされたり、別の脚本家も呼び込んで大幅な書き直しがあったりする。

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