「先生の白い嘘」監督批判に感じるモヤモヤの正体 監督と作品へのバッシングは本質を見誤っている

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

問題を看過してはならない一方で、出演者はじめ、関係者が不当な損害を受けてしまうことを避ける必要がある。

裏を返すと、映画監督やプロデューサーは、作品を作り上げるだけでなく、大きな問題が生じないよう、最大限の配慮をする責任を負っているということだ。

映画業界が多くのリスクを抱えるようになったにもかかわらず、リスク回避のための体制づくりができていないのも問題である。

映画の中でも主人公は「快楽に溺れ」てはいない

映画の公式サイトから「快楽に溺れ」の文字が削除された件について、作品や監督を批判している人も少なくないが、誤解も多いように思える。

先生の白い嘘
7月12日現在の公式サイトに掲載されたあらすじ。「快楽に溺れ」の文言は削除されている(画像:『先生の白い嘘』公式サイトより)

映画を見る限り、奈緒さん演じる主人公の美鈴が「快楽に溺れ」ているようには見えなかった。奈緒さんは、レイプに遭いながらも恐怖と自己防衛の感情から加害者と関係を断ち切れないジレンマをしっかり演じられていると思えた。

むしろ、公式サイトの表現の問題は、作品の説明の仕方が不適切だったということであり、この点については、監督はじめ、制作側の問題というよりは、配給会社の問題であるように思える。

筆者は、広告会社に勤務していた際に、映画のプロモーションにも関わったことがあるが、広告・宣伝で向き合うのは配給会社であり、監督はもちろん、原作者が関与することはなかった。

さらに言えば、作品を最初に鑑賞したのは試写会の段階であり、広告・宣伝ツールの制作は、配給会社から受けたオリエンテーションと、作品一部の映像や画像をもとに進められた。

今回のケースがどうだったのかは不明だが、公式サイトの解説を監督や出演俳優が事前に確認する機会はなかった可能性も高いだろう。配給会社の配慮不足、チェック不足が招いた事態ではないかと思われる。

映画の主人公が「快楽に溺れ」ているような描かれ方をされているかのような批判が、原作読者や一般のSNSユーザーからなされ、それをネットニュースが「こたつ記事」として拾って火に油を注ぐという、よくある炎上パターンがここでも起きている。

次ページ正義感からの怒りかもしれないが…
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事