第1に、現在の日本では(実際にはほぼすべてのアジアの国で、実は多くの欧米諸国でも)、いかなる政策でも出生率を上げることは難しいからだ。
第2に、選挙対策としては、国を憂うる政策よりも、自分自身に配られる現金のほうが圧倒的に効果的だからだ(これはまさに日々、1回の選挙ごとに、未来の日本よりも今日の自分の懐が大事という度合いは、驚くほどの勢いで高まっている)。
第3に、本当に人口を増やすためには、一地域で対策をとってもあまり意味がないから(例えば、出産するための住居を埼玉から東京に移すだけだから)である。
「政局祭り」に仕立て上げたかっただけ?
しかし、それならばなぜ、メディアは少子化対策が都知事選挙の争点になると思ったのか? それをあおったのか?
それは、国政選挙の代理戦争ということにしたかったからである。そして、それは人々にとっても違和感がないし、かつ、大手新聞やテレビ局などの政治部記者としては盛り上がる。つまり、政局祭りに仕立て上げたかっただけなのである。
実際、都知事選挙は盛り上がる。政策の論点の少なさや選挙の接戦度合いなどからいっても、埼玉や千葉の選挙戦よりも有権者にとってより重要であるとは思えないが、これら2県の知事選の投票率をはるかに上回る。実際、50%を超えることが多いし、平成に入ってからも60%を超えたこともあった。
一方、埼玉は20%台のときさえあり、その他の場合は30%台であり、千葉も多くの場合は30%台だ。それはメディアが取り上げるからであり、全国的なイベントとして盛り上がるからであろう(確かに、千葉都民、埼玉都民という面はあるにしても)。
つまり、都知事選は「愉快犯」、メディア、有権者、そして日本国民、すべての人にとってお祭りだ。
だから、逆に言えば政治に敬意を払わない人々からなめられて、「どうせ、この選挙はエンターテインメントだろ、なら遊んでやれ」、ということが無意識に働いて、集客効果が大きいことと相まって、とんでもないことが(つまり、卑劣な手段により盛り上げるということ)横行するのだ。この破廉恥な選挙への冒涜は、まともな有権者や日本国民全体の気の緩みの反映でもあるのである。
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