中里准教授は、この問題を仮想的なケースを例示して説明する。
「いま、『東京国』と『地方国』という2つの地域からなる国を考える。東京国と地方国には20代の女性が100人ずつ居住しており、そのうち50人は「20代で結婚し子どもを産むことを予定している人」(20代で出産する予定の子どもの数は1人)、50人は「20代を未婚のまま過ごすことを予定している人」(20代で出産する予定の子どもの数は0人)であるものとする」(同)
このときに、この後者の50人が、進学や就職のために地方国から東京国に移動すると、東京の出生率は結果的には低くなり、母数が減った地方国の出生率は高くなる。だから、東京の合計特殊出生率が低く、地方が高いのは見せかけで、実際には東京に結婚と出産をしない女性が集まっているだけだというのが、中里准教授らの主張のようだ。
「地方国」と「東京国」の関係とは?
この議論に、論理的な間違いはない。しかし私は、実際問題としては少し違うのではないかと思う。なぜなら、前提が現実と異なると思うからだ。
すなわち、彼らの例では、各個人は「20代を未婚のまま過ごすことを予定している」(同)といったことが前提になっている。だが私は、そうではなく、人間の多くは弱いから、多数派は環境や周りの雰囲気に影響されて行動を決めるし、人生の選択も(選択というよりも自然の成り行きで、という場合のほうが多いということもあるだろう)、環境に大きく影響されるだろうと考えている。
彼の言う「地方国」にいれば、周りの多くは早く結婚し、子どもも早く持つ。そうすると、なんとなく一人だけ独身でいるのも居心地が悪い。親族が心配して、結婚を勧めてくるというプレッシャーにさらされる。その結果、結婚したほうがいいかなあと思うようになる。
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