NHK「赤字でも黒字でも非難殺到」が意味すること 「儲けすぎ」から一転「どうして赤字なのか」
いくらNHKが「あなたたちが求めるから、値下げしましたよ。だから赤字になっちゃいました。てへぺろ」とアピールしたところで、「NHK離れ」が進んでいる人を引き留められるほどの吸引力を持っているかというと、そうとは思えないのだ。
「清廉潔白さ」への違和感
疑念が生まれる要素は、受信料制度にとどまらない。つづいて考える背景は「『清廉潔白さ』への違和感」だ。
全国に取材網を擁していて、ことある事件・事故のたびに「記者が居合わせている」ことで有名なNHKではあるが、内部構造は一見よくわからない。
その「社風」も見えてこない。一般的には「お堅い人々の集まり」と認識されているようだが、フリーに転身した元NHKアナウンサーらを見ていると、在職中は胸に秘めていた「おちゃらけ要素」を、民放進出でさらけ出すケースは珍しくない。そのギャップが強ければ強いほど、視聴者は「伏魔殿なのではないか」とのイメージを強くする。
そこに加えて、「『たたける存在』として認識された」。選挙シーズンなので、言及は控えめにするが、2016年ごろから「NHKをぶっ壊す」のフレーズが、一種のネットミームになったことにより、「NHKはバッシングしていい存在だ」との認識が広がった。先に挙げた疑念たちを言語化されたと、好意的に受け止める人が出てきてもおかしくはないだろう。
「NHKたたき」の背景には、テレビ業界全体が抱える課題もある。まずは「報道への不信感」だ。
「マスゴミ」なる蔑称が普及して久しいが、とくにSNSで発信する層は、マスメディアへの信頼が薄いように感じられる。
インターネットでは、アルゴリズムの進歩により、あらゆる情報が「個人の興味」に応じて出し分けられるようになった。そこへ身を委ねるライフスタイルが定着するほどに、現代人は「自分に合った情報」に浸る心地よさを享受している。
そうした中においては、マスメディアの指向する「正しい報道」や「価値のある報道」は、あまり重要視されない。あくまでユーザーは「自分にとって都合のいい情報や論調」が欲しいのであって、「正しい」とか「価値がある」などと他者に判断されることに嫌悪感を覚える。その判断者が大きければ大きいほど、それらへの反発は強まり、不信感は増していくのだ。
このようにメディア接触をめぐる態度が変わるのと並行して、テレビの代替となるサービスが台頭してきた。YouTubeにレコメンドされるままに連続再生すれば、テレビと同様に「動画コンテンツの垂れ流し」を味わうことができる。
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