Z世代が囚われる「第三者目線」という強迫観念 メリットなき個人行動の「コンプライアンス化」

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與那覇:目の前の相手よりも第三者の評判を気にするのって、本来ならTVに出たりする「有名人」の行動様式ですよね。

日本では2011年の東日本大震災がSNSの普及を加速し、当時は「会いに行けるアイドル」と呼ばれたAKB48のブームがピークでした。彼女たち自身、半ば仕事としてSNSで発信したりもしていた。ところがその後に起きたことは、普通の人が「まるで芸能人であるかのように」振る舞わないといけない空間へと、SNSが変わっていったわけです。

私生活や秘めた本音を公開し、プライベートとパブリックをわざと曖昧にして魅力を生みだすのは、インターネット時代のタレントや政治家にとっては有力なツールになったけど、いつしか人気商売ではない人まで、そこから離れる自由がなくなっている。

舟津:インスタグラムとかは象徴的かもしれないですね。普通の学生が、どこに行ったとか、おいしいもの食べたとかを芸能人みたいに見せる。ただ冷静に考えると、誰に見せているのかわからない。私もSNSをやっているので一部は加担している部分もありますけど、不特定多数に向けて自分自身を切り売りする前提になった社会、なんですよね。芸能人はそれでお金を得ていますけど、一般人は何も得ていない。

與那覇:おっしゃるとおりで、そこが不均衡というか、きわめて不平等ですよね。

曖昧な基準で一発退場をくらう社会

舟津:第三者目線は強迫観念を喚起します。たぶん若者はそうした強迫観念をいつも持っていて、友達グループから少しでも外れたら「消される」と、本気で信じている部分がある。私は大学生たちと接していて、同質化傾向が強いなと感じるんですが、こうしたキャンセルカルチャーの強迫がその傾向を強めているんじゃないかと思います。

だから少しベタですけど、みんな自分なりの自己判断基準を失っていると感じます。映画監督の是枝裕和さんが、早稲田大学の入学式で「自分だけのお気に入りの城を作った方がいい」と祝辞を述べていましたが、本当にそのとおりで。

與那覇:いろんな人や場所とのつきあいを試して、いちばんしっくり来るところを「城」にすればいいのに、そうした試行錯誤を許さない社会になっていますよね。

舟津:まさに。

與那覇:思い出すのは平成の半ば、2000年代の前半に「ゼロトレランス」(寛容さをゼロに)が日本でも唱えられた時期のことです。総数で言えば青少年の犯罪は減っていたにもかかわらず、ショッキングな事件の報道が続いたことを契機に、「もっと厳罰化を。未成年でも死刑に!」といった空気が高まりました。

アメリカでは「校則違反は一発で退学。言い訳は一切聞かない」とするゼロトレランスの政策が、秩序の回復に成果を上げたとされて、「じゃあ日本でも」という声が出てきた。しかし欧米のゼロトレランスは、事前に守るべきルールを明示してサインさせた上で、「これを破ったらアウトだよ」と互いに約束するわけです。

ところが日本では、何がルールなのかが曖昧なままゼロトレランスを導入し、「ここまで炎上したからには、きっとそれだけ悪いんだろう」といった後出しじゃんけんで処分が決まってしまう。

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