Z世代が囚われる「第三者目線」という強迫観念 メリットなき個人行動の「コンプライアンス化」

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與那覇:深刻なのは、その逆をやることで稼ぐビジネスもあることです。課金してくれる「第二者」にさえウケればいいから、金を払わない「第三者」の評判なんか知らねぇよという態度で、過激な発言や反社会的な動画を流す。みんなが第三者過剰に囚われて、内心疲れているからこそ、「あそこまで第三者をシカトできるのスゲー!」として人気が出る。

人文書の世界では「ケア」という用語が、ここ数年間インフレになるくらいもてはやされています。それもまた、あまりにも第三者のほうばかり見る姿勢が前提になってしまったために、目の前の第二者に注意を向けるというあたりまえの行為をわざわざ「ケア」と命名して、大事ですよ、大切ですよ、と書き手が連呼しないといけないからですね。

第二者不在のコミュニケーション

與那覇潤先生
與那覇 潤(よなは じゅん)/評論家。1979年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。著書に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』『歴史なき時代に』『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。

舟津:本当にそう思います。與那覇先生が著書の中で、コミュ力と共感力が反比例するという研究を紹介されていましたよね。そこで気づいたのは、Z世代化されたコミュ力、つまり現代社会のコミュ力は、第三者に見せつけるものだということです。たとえば、私たち2人がしゃべっているときに私がコミュ力の高さを見せつけようと思ったら、與那覇先生ではなくて外の人に向けて話すようになる。

與那覇:その手法の帝王がひろゆき氏で(苦笑)、実は彼は、自分で本にそう書いているんですよね。目の前の相手を納得させるのではなく、外から見ている観客が「こっちの勝ちだ」と思ってくれるように喋るのが、最強の論破術なんだと。

舟津:ただそれは「コミュ力」、コミュニケーションのための力の使い方としては明らかにおかしいんですよ。ところが、「そんなの意味がわかんないからやめようよ」と言わなくて、「なるほど、そっちのほうが得するな」とか「強いな」とか「勝てるな」とか思い始めると、コミュニケーションが成り立たない。目の前の人としゃべりたいのに、目の前の人が私に向かってしゃべってくれない。相互行為としての対話あってのコミュニケーションなのに、プレゼン合戦みたいになっちゃう。

與那覇:「かわりばんこ」にプレゼンするのは、そもそも会話なのかみたいな。

舟津:プレゼンって要は自己利益のために都合よく提示することですから、日常のコミュニケーションには必要ないはずなのに、日常のやり取りがプレゼン合戦になって、二者間で話すことすら第三者に向けて見せるものになっている。

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