日本の政治が著しく弱体化し、経済政策が混乱しているのは事実である。しかし、それだけでなく、産業が衰弱したことが問題なのである。
この状態は、高度成長期に比べて顕著な差だ。1950年代、日本銀行の一万田尚登総裁が「ぺんぺん草を生やしてみせる」として反対したにもかかわらず、川崎製鉄の西山弥太郎社長が千葉製鉄所の建設を強行したエピソードは有名だ。また、60年代、「特進法」によって産業統制を強化しようとする通商産業省に対して、石坂泰三が率いる経団連が反対した。このとき日本の製造業は強く、政府の干渉に対して反発する必要があったのである。
国に依存するか、国の干渉から自由でありたいと考えるか。この二つには甚大な違いがある。自由主義は、強い産業がなければありえないものであることを痛感する。
アップルを生んだのはいったい何なのか?
「強い産業は国の強さと無関係」と述べたが、これには注釈が必要だ。
第一に、いかなる産業といえども、政府の存在と無関係ではありえない。基本的な社会秩序と社会的インフラなしには経済活動は行えないからだ。したがって、満足な社会基盤がない国に強い企業は生まれない。これは当然のことである。