第二に、アップルやグーグルのような企業は、さまざまな国にランダムに生まれているわけではない。実際、(誠に残念なことに)日本には生まれていない。日本のメーカーは、アップルが発明したスマートフォンを模倣するだけだ。これらの企業はアメリカで生み出されたのである。
つまり、アメリカ社会はアップルやグーグルを生み出せる「何か」を持っているということになる。この意味において、強い産業と国家は無関係ではないのだ。
問題は、「アメリカ社会が持っている『何か』とは具体的には何なのか」ということだ。
一般には、国の強さを表す指標として失業率や国債の格付けが、あるいは通貨の強さが用いられる。最初に見たように、これらの指標でアメリカは決して強い国ではない。「アメリカの没落」とは、これらの指標で見た場合に、アメリカが弱くなっているということである。
つまり、先に「国の強さと企業の強さがあまり関係しなくなったように見える」と言ったのは、実は不正確な表現だ。正確に言えば、「多くの議論は、国の強さを測るのに誤った指標を用いている」ということなのである。
日本の課題を端的に言えば、「アップルのような企業を日本に作る」ということである。そうだとすれば、「アップルを生み出したアメリカの『何か』とは何なのか」を解明するのは、大変重要なことだ。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2011年9月3日号)
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