ミセス炎上「コロンブス」が持ち込んだ酷い病気 先住民「数十万人が2000人に激減した島」の悲惨

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ところが探検と征服が原因で、アルフレッド・クロスビーが言うところの「コロンブス交換」が起きた。大西洋を挟んだ接触を通じて、大量の致死的感染症があっという間にアメリカ大陸に持ち込まれることになったのだ。新世界はお返しに梅毒を旧世界に送り込んだが、アメリカ大陸に持ち込まれたヨーロッパの病原菌の方が、多様性に富み、破壊力ははるかに大きかった。

アメリカ大陸に持ち込まれた伝染病

ヨーロッパから持ち込まれた病気のうち、最も大きな被害をもたらしたのは天然痘とはしかだった。

旧世界では長いこと幼児の病気だった風土病が、アメリカ大陸で伝染病として流行したのだ。たいていの船乗りは幼少時にかかっていたので大人になると免疫がついていたが、時には発病前の保菌者が大西洋を横断する探検隊に交じっていることがあった。

3番目に多くの命を奪ったインフルエンザの場合、成人になっても免疫がつくことはなかった。持ち込まれた新顔の感染症のうち、この3つは伝染力が特に強く、飛沫や体の接触を通じて伝染した。マラリア、チフス、ペストといったほかの病気が広がるには、相応の媒介動物──それぞれ蚊、シラミ、ノミ──が同時に持ち込まれる必要があった。だが、これも時間の問題にすぎなかった。

クリストファー・コロンブスがはじめて海を渡ってから1年足らずのうちに、伝染病はヨーロッパの最初の足がかりであるイスパニョーラ島を蹂躙しはじめた。島の先住民は数十万人いたと思われるが、それが1508年には6万人に、10年には3万3000人に、19年には1万8000人に減り、1542年には2000人を切った。複数の疫病がカリブ諸島を通過し、まもなくアメリカ大陸に到達した。

1518年、カリブ諸島で天然痘がはじめて流行し、島々を荒廃させると、19年にはメソアメリカのアステカ族とマヤ族に途方もない数の死者が出た。その衝撃があまりにも大きかったので、生き残ったアステカ族はのちに疫病の到来以降の月日を数えるようになった。新たな恐怖時代の幕開けを告げる重大な出来事だと考えたからだ。

接触によって伝染し、治療法もないため、天然痘はそれにはじめて触れた住民を手加減なしに襲った。あるアステカ族の言葉を借りると、

顔、胸、腹に腫れ物ができた。頭のてっぺんから爪先まで辛い腫れ物だらけだった。この病気はとにかく恐ろしく、誰も歩いたり動いたりできない。病人は完全に無力で、死体のようにベッドで寝ているしかなく、体を動かすどころか、頭さえ動かせなかった。うつぶせになることも、寝返りを打つこともできなかった。体を動かせば、痛みで叫び声をあげることになる。
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