ミセス炎上「コロンブス」が持ち込んだ酷い病気 先住民「数十万人が2000人に激減した島」の悲惨

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わがもの顔で猛威を振るう伝染病が、スペインによる征服の道を拓いた。フランシスコ会の修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンは、アステカの巨大な首都テノチティトランの占領についてこう記している。

通りは死者と病人であふれ、われわれの兵士はその上を歩くほかなかった。

メキシコを襲った複合的な感染爆発

それから数年足らずのちの1520年代、天然痘はアンデスのインカ帝国に達し、おそらく統治者のワイナ・カパックを含む膨大な数の住民の命を奪った。

2度目の感染爆発が始まったのは1532年のことで、今度ははしかだった。この時も失われた人命は数知れず、被害はメキシコからアンデス山脈にまで及んだ。とりわけ深刻だった伝染病(おそらくチフス)は、1545~1548年にメソアメリカ中央部を壊滅状態に陥れた。その後のケースでは、いくつかの病気が足並みそろえてやってきた。

たとえば1550年代末から1560年代初めにかけての事例がそのひとつだが、この時はインフルエンザが中心だったようだ。被害の報告も増え、1576~1591年には複合的な感染爆発が起こるに至った。疫病が全面的に蔓延して生き残っていた人びとの命を奪った。まずチフスが、続いて天然痘とはしかが手を携えて襲来した(1585~1591年)。

これは、こんにちに至るまで最も過酷な出来事のひとつである。

伝染病は17世紀前半まで猛威を振るい続けた。おそらく威力は弱まり、地域によって被害には大きな差があっただろうが、それでも破壊力はすさまじかった。

大勢が死亡し、それに伴って秩序が崩壊したせいで、スペインによる侵略が後押しされたものの、新たな統治者はまもなくこうした流れを断ち切ろうとした。16世紀末には、自分たちが搾取する現地の労働力を確保しようと、医師を配置して検疫を課した。こうした措置の効果は、よく言っても小さいものだった。

伝染病は波状攻撃のように、だいたい一世代に一度の割合で発生した。最初の150年あまり、総死亡者数は徐々にしか減らなかった。そのうえ、征服そのものの暴力が先住民に及ぼした多方面にわたる経済的、社会的、政治的衝撃によって、全体的な死亡危機が悪化したことは言うまでもない。

ウォルター・シャイデル スタンフォード大学教授

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Walter Scheidel

スタンフォード大学人文科学ディカソン教授、古典・歴史学教授、人類生物学ケネディ - グロスマン・フェロー。1993年ウィーン大学Ph.D.(古代史)。著者・編集者として16冊に及ぶ記事を上梓し、近代以前の社会・経済史、人口計量学、比較史に関する幅広い研究成果を発表している。近刊誌として、帝国の失敗と繁栄への道、Princeton University Press、2019。

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