「働き蜂」のように動き回った
生産性の高い人だ、と私は褒められてきた。
周りからは、いつも「働き蜂」みたいに動き回っている、勤勉なしっかり者に見えていただろう。けれど、その代償は大きかった。
仕事で業績を上げ、執筆活動や社会運動にも熱心に取り組み、周囲の期待に応えられるよう、いつもバランスを取ってきた。締切を破ったことはなかったし、行くと言ったイベントには必ず顔を出した。
就職活動中の友人がいれば応募書類の推敲を手伝い、人権侵害について議員に連絡する人には精神面のサポートをした。
そうやって「活動的で頼りになる人」という外面を保ってきたけれど、私の内面はボロボロだった。本を読む気力もないほど疲れ果て、刺激を避けて暗い部屋で独りで過ごした。頼みを断れず抱え込んだのは自分なのに、頼ってきた相手を恨んだりもした。
活動範囲を広げすぎてちぎれそうになっても、身体を引きずってタスクを次々と片付けていた。エネルギー不足で動けなくなって「怠惰」になる自分は許せなかったのだ。
私のような人は多い。


















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