任天堂を「ゲームの覇者」と捉える人に欠けた視点 失墜した日本メーカーの中で成功した根本理由
当時、任天堂の最大の競合相手だったPlayStationとXboxは、従来の方向性のまま高画質、高性能化する道を歩んでいました。同じく高性能化の道を選べば、以前よりもいっそう激しく、従来のゲームファンを競合2社と奪い合うことになるのは必至です。
そこで任天堂は、あえて「使い勝手のよさ」に照準を合わせ、ゲーム分野のブルー・オーシャン、すなわち今までゲームなど触ったこともないような若い女性や中年女性にアピールできるゲームを作る道を探りました。それが功を奏したことは、言うまでもないでしょう。
任天堂は、2冊の教科書に記されている教訓を地で行くことで、見事にイノベーションのジレンマを乗り越え、ブルー・オーシャンの開拓に成功しました。かのソニーを含めた日本企業のなかで、これができたのは任天堂だけでしょう。「ゲームの本分は高性能や高画質ではない、おもしろければいいのだ」という発想に立ち返ったところに、任天堂の先見の明がありました。
「ゲームだけは独り勝ち」の日本の課題
現在、プラットフォームビジネスで世界的に成功している日本企業は、
1つ、ゲーム自体にユニバーサルな魅力があるから世界展開できたというのは挙げられますが、それだけではないでしょう。特に任天堂の場合は、「ゲームの魅力+プラットフォームとしての魅力」という相乗効果が大きいと思います。
ではなぜ、ゲームの分野だけで日本はプラットフォームビジネスに成功しているのか。逆に言えば、なぜゲーム分野以外のところのすべてにおいて、日本はプラットフォームビジネスで失敗しているのか。
たとえば、日本製SNSのmixiは、Facebookが登場するとあっという間に取って代わられてしまいました。また、モバイルゲーム、ソーシャルゲームのプラットフォームとして一気に台頭したGREEも、Appleのスマートフォンの登場とともに大失速しました。
このように、日本発のプラットフォームビジネスも、一応はあった。しかし、すんでのところでお株を奪われるということが続いてきたのです。
それには様々な理由が考えられますが、中でも大きな要因となっているのは、今の日本では「テクノロジーに対して後ろ向きの人」が多いことではないでしょうか。すでに最新テクノロジーは身のまわりに溢れているというのに、少しでもテクノロジーの話をしようものなら、「怖い」「大事な何かが失われる」とネガティブな反応を示す。そういう人たちをたくさん見てきました。
しかし時を少し遡れば、戦後の日本は、ずっとテクノロジー立国で生き延びてきたのです。大正生まれの人たちがトランジスタラジオを作り、世界に売って経済発展してきたのが日本という国です。ところが、その子孫である現代日本人は、なぜか「テクノロジー怖い」教に染まっている。それが不思議でなりません。
任天堂を、単なる「ゲーム業界の覇者」として捉えるのは視野が狭すぎます。日本企業として唯一、プラットフォームビジネスで成功していると言える任天堂には、業界や分野を問わず、学ぶところは大きいでしょう。
(構成:福島結実子)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら