専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得

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また、現実として専門知は「上司は部下に対してこう接するべき」など極端な規範として単純化され、原典の論文が読まれることはほとんどない。SNSの140字すら読めない人に、10ページ以上の文章を読みこなせと言うのは酷であろう。

なおそれは、多少言葉は悪いかもしれないが、論文を読む程度の力がない人でもエビデンスに興味を持ち、「自分は簡単に騙されない」という態度を取るようになったとも言える。とりわけコロナ禍が契機となって、人々はより自分で考えようとしている。その変化は無視してはいけないし、そのエネルギーを良い方向にむけられるよう専門家も助力すべきであろう。

専門家はエビデンスの自販機なのか

以上を踏まえたうえで、うなぎ屋問題に戻ろう。専門家は専門のことしか語るべきでないのか。結論を述べると、私はそうではないと考えている。専門家が果たすべき役割は、自身が研究する(狭い)領域の中で、一般の人たちにとって役立つ知識を、数値やエビデンスをもって裏付けること「だけ」ではないはずだ。

そう言える理由はいくつかある。まず、「特定の専門家による専門知の伝達」という流れのみを支持してしまうと、ますます専門の狭隘化が進むからだ。風呂に水をためる専門家とか、「どこに存在するかわからないけど、それには詳しいだろう人」しか頼るべきでないという流れは、きわめて危なっかしい。

研究者の世界は、そんな超特殊な専門性を形成するようには本来できていない。反面、それがウケることを察知して、メディアに向けて専門性を「詐称」する人も生まれるだろう。なお、私は別にZ世代の専門家ではないと、この場を借りて断っておく。

また、専門知が求められる社会課題は往々にして複合領域であり、単一の専門知だけで解決不可能である、ということにも注意すべきだ。風呂に水をためる問題を本気で考えるなら、誰に問うべきか。災害の専門家か。災害の専門家とは、どこで何をしている人々か。

私は、土木工学などを思い浮かべた。実際、土木工学者の方が防災を研究しているのを知っていたからだ。という話を建築士の方にしたところ、風呂の話なら土木って感じではないですね、建築学のほうが近いのでは?と意見をもらった。「ちなみに水をためると波を起こして振動を吸収できるので、私は意味あると思いますよ」とも仰っていた。

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