専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得
そして、拙著『Z世代化する社会』も、専門性の不確かさによって書店員さんに混乱を与えているようだ。本書は、本屋さんによって置かれる場所がかなり異なっている。たとえば現代社会論とか、若者論、人材マネジメントといった本棚。とある本屋さんでは「日本論」にジャンル分けされていた。読み手によっては、面白かったけど何のジャンルなのかわからなかった、と思われるかもしれない。
そして、本書が混乱を与えているのは人間だけではないようで、進歩が著しいAIもその被害者らしい。Amazon.comではAIによって「心理学の参考図書・白書」や「総務・人事・労務管理の参考図書・白書」にカテゴライズされている。まあ、まだわからなくはない。
驚いたのは「妊娠・出産ガイドブック・マニュアル」に分類されていることだった。本書はもちろん妊娠や出産に関係のない本だ。何らかの情報を基に、AIが「誤読」しているわけである。
何の話をしているかというと、ジャンルというのはなかなかに難しい概念で、だから「専門家」のジャンル分けも難しいのだ。加えて現代は、専門性がますます細分化している。拙著に対しては「経営学者が書いた本には読めないね」というフィードバックもいただいた(中身は面白かったらしい)。非専門家が書いているエビデンスのない本だ、という非難を浴びる条件は、正直揃っている。
専門家が出す「エビデンス」の背景
ここで、私が最近調査している「AI創薬」について紹介したい。AI創薬とは、AIの技術を創薬に生かす取り組みだ。ある講演を聞いた際に、登壇者の方に「正直なところ、AIと創薬それぞれの専門性について、ひとりの先生はどれくらい理解されているのですか」と質問したことがあった。
つまり、講演の題材の論文にはAIの知識と創薬の知識が両方含まれているはずで、それらをすべて理解されているのですかと尋ねたのだ。どちらも非常に高度な専門性が求められるし、分野がかなり異なっている。ひとりが両方修めるのは並大抵ではない。
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