専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得

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すると、「率直に言うと、理解できていない部分はあります」と答えられた。「高度化しすぎていて、両方の専門性を完璧に会得するのは無理じゃないかな」とも。理解できない部分については、AIの専門家と創薬(なお、創薬もバイオや低分子といった小分類が存在する)の専門家が緊密に議論し、互いに補い合いながら論文を執筆されるとのことだった。

互いに理解できない部分が存在しながらも1本の論文として発表できるのは、個々が高度な専門性を有するからこそである。しかし専門性が高まりすぎると、共著者同士ですら何をしているのか理解できなくなるという現象さえ起こりうるのだ。

こうした背景をふまえると、「専門家に聞けばわかるだろう、論文出してるし」と、そんなに簡単には言えなくなってくる。「AIのとこは自信がありますけど、創薬のほうは正直わかってなくて……」という「専門家」が、創薬に関する「エビデンス」を創出している、とも言えるからだ。

うなぎ屋はうなぎしか出すべきでないのか

ここで一つ「うなぎ屋問題」というクエスチョンを提起したい。将棋が好きな方ならご存じであろう「藤井システム」で知られる、棋士・藤井猛さんの発言から着想を得たものだ。藤井さんは振り飛車(四間飛車)という戦法を最も得意とし、「こっちは、うなぎしか出さないうなぎ屋だ。ファミレスのうなぎに負けるわけにはいかない」という有名なフレーズを残している。

つまり、さまざまな戦法やスタイルがあるなかで、藤井さんは一つの戦法に専念している。自分はうなぎ屋(振り飛車党)なので、うなぎ(振り飛車)しか出さないし、うなぎ屋以外(振り飛車党でない人)が出すうなぎ(振り飛車)には負けたくない、という考え方である。

この話は専門家にもあてはまる。たとえば、私がイノベーションの専門家だとしたら、イノベーション「だけ」論じるべきなのか。そして他分野の人がイノベーション研究を発表した場合、どうリアクションすべきなのか。専門家は、いかに専門性を限定する(しない)べきか。これがうなぎ屋問題である。

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