「第2次世界大戦を変えた男」の"その後の運命" 戦争犯罪の責任を問われた「天才作戦家」マンシュタイン

裁きの庭に引き出されたマンシュタイン
大学教授を思わせる風貌であった。
180センチはあるだろう長身に背広をまとい、髪は真っ白だ。深い光をたたえた瞳が、知性の輝きを放っている。
けれども、ハンブルクの催事場「クリオ館」の大コンサートホールで開かれたイギリス軍高等軍法会議の証言台に立つその男は職業軍人、それも最高の階級である元帥にまで昇りつめた人物だった。「ドイツ国防軍最高の頭脳」と讃えられた陸軍将校――エーリヒ・フォン・マンシュタインは、ポーランドやロシアでなされた戦争犯罪の責任を問われ、裁きの庭に引き出されていたのである。
1949年8月23日に開廷された高等軍法会議における冒頭弁論で、主席検事を務めた勅撰弁護士アーサー・コミンズ・カー(勅撰弁護士は、イギリスで国王に任命され、とくに複雑な事件の弁論を行う法律家。コミンズ・カーは、東京裁判では、イギリス代表検察官を務めた)は、17箇条におよぶ訴因を並べ、容赦なくマンシュタインを責めたてた。マンシュタインが指揮を執っていたあいだ、「想像し、描き得るかぎりの不法行為、あらゆる蛮行が日常的に行われた」としたのちに、コミンズ・カーは断じる。
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