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専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得

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  • 舟津 昌平 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師
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この問いについて、ヒントとなる論文がある。経営学のトップ専門誌である『Academy of Management Annals』にて今年発表された論文で、タイトルは「経営学研究における専門知」(主題を筆者が邦訳)。

つまり、「エキスパート」や「プロフェッショナル」と称される専門「家」ではなく、“expertise”、つまり専門「知」に着目しているのだ。専門知とは専門家から生み出された知識であり、専門性のない素人でも活用できると一般的には考えられている。

「風呂に水をためる専門家」はどこにいる?

一つ例を示してみたい。「災害時にお風呂に水をためる」という慣習を耳にしたことがあるだろうか。日本ではかなり浸透度のある慣習だ。これに対して「災害の専門家」がSNS上でそれはやめましょうと発信し、炎上とまではいかなくとも、大きな注目を集めた。その際に、専門家のポストと同じくらいバズっていたのが、「専門家の意見を聞きたい。誰か、風呂に水をためる専門家を呼んできてほしい」というポストだった。

それ、誰やねん、という話である。ただ、発信者にとってみればおそらく専門家自体が誰であるかはどうでもよくて、論文やデータ、つまり専門知さえ提供されればよいのだろう。自身が専門家になるのは難しくても、専門知を得れば専門家のように物事を考えられるし、現実に活用可能である、と思われているようなのだ。

これは非常に現代的なテーマであり、「ポスト・トゥルース」や「もう一つの事実」、そして科学的否認主義といった議論に関連している。「真実」「事実」がますます相対化されるのと軌を一にして、自説の補強のために専門知を得ようとする。そして専門知が主にネットを介して自由にやり取りされるため、だれもが専門家のように振る舞えるようになってもいるのだ。

とはいえ、専門的トレーニングを受けていない人が専門知を役立てることは簡単なことではない。たとえば「上司がこうすれば何%の部下がどうなる」という専門知を得たとする。しかし、それは限定的で微々たる効果しか持たない可能性が高い。

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【専門家に求められるべき役割】

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