「40年遺骨収集続ける男」から考える"弔いの意味" 『骨を掘る男』の奥間勝也監督にインタビュー

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――自分自身が撮られるということにも、興味がないのでしょうか。

そうですね。この映画でも「こういうシーンを使おうと思います」とパソコンを持って、車の助手席に乗り込んだのですが、具志堅さんからは「ああ、時間がないから」と見ようとしない。けれども遺骨収集に対して関心を持ってもらう、ということに関しては積極的なんですよね。

沖縄の視点からの映画を作りたい

――映画は、ガマ(自然壕)に潜り込み、暗闇の中、ヘッドライトを頼りにして、土砂をかき分け、骨を探す具志堅さんの手元から始まります。そこから場面が転換し、沖縄戦の記録映像が映し出される。日本兵や住民が逃げ込んだであろうガマに米兵が火炎放射器や、手りゅう弾を投げ込み、爆発が起きる。その後再び映像が切り替わり、沖縄戦の映像が映し出されたスクリーンを客席で見ている人(奥間監督)の背中が映る。戦時中と客席の2つの映像は、「対」のように思えました。

沖縄戦の映像は、多くのメディアが使用してきたものですが、実は「1フィート運動の会」という沖縄の人たちがアメリカからあの映像を買って使っている、といった背景があります。

あれ以外に戦争中の記録映像がなく、沖縄戦を視覚化するため、アメリカから奪い返すような気持ちで、お金を集めて映像を買い取る運動が、1980年代にあったのです。

戦時中の映像を客席で見ている僕の背中を画面の中に入れたのは、沖縄戦の映像がアメリカの視点で撮られたものだということを指摘したかったから。それと同時に、僕自身は沖縄の視点で映画を作りたいという想いも込めました。

骨を掘る男 具志堅隆松 奥間勝也
おくま・かつや/1984年沖縄県生まれ。映像作家。沖縄を舞台にした中編映画『ギフト』(2011)、北インド・ラダック地方で撮影した『ラダック それぞれの物語』(2015、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門奨励賞受賞)。WOWOW「いま甦る幻の映画『ひろしま』 受け継がれていく映画人の想い」(2015、全日本テレビ番組製作社連盟ATP賞最優秀新人賞受賞)(写真:筆者撮影)

――遺骨を探しながら、ぼそぼそと話す具志堅さんの手元を映した映像も、印象に残りました。暗闇で手元をアップしたのには、もちろん狙いがあるんですよね。

骨を掘る男 具志堅隆松 奥間勝也
『骨を掘る男』(C) Okuma Katsuya, Moolin Production, Dynamo Production

あの場所で撮るというのは、実は技術的にも、とても難しくて。ガマの中は、狭くて三脚も置けない。足場が悪く、カメラを手元に寄せようとするとブレてしまう。撮影していて、いつ、あっ!(遺骨が出てきました)と具志堅さんが言うかもわからないので、カメラをどこで止めていいのかもわからなくなりました。

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