「なるようになる」がチャンスを引き寄せる必然 ばんばひろふみさんが言った「結果はひとつ」

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番組代表として同行してくださったシンガーソングライターのばんばひろふみさんから、「印南、俺はおまえがいちばん心配や」と呆れられながらも、2週間のカリフォルニア・ライフを満喫したのでした。

でも、なぜ僕のような劣等生が受かったのでしょうか? それは、応募の段階からつねに「なるようになる」と考えていたからだと思います。

アメリカには憧れがあったので、もちろん受かりたいと思ってはいました。とはいえ、客観的に考えればその可能性はとても低い。

しかし、どちらにしても「なるようになる」し、「なるようにしかならない」。

なぜだか、そんな思いが心から離れなかったのです。

抗った結果は受け止める

どう考えても、望みが叶わない可能性のほうが高い──そんなときには、とかく悲観的に考えてしまいがちです。たしかに可能性が低いのであれば、悲観的になってしまっても無理はないでしょう。

しかし、ここには重要なポイントがあります。それは、「望みが叶わないことが決定した」ではなく、「望みが叶わない可能性のほうが高い」にすぎないということ。

まだ答えが出ていないのだから、叶う可能性が低かったとしても、ゼロではないということです。つまりそこにはまだ、「なるようになる」余地が残されているのです。

だとすれば、なにをすべきでしょうか?

少なくとも僕は「なるようになる」というところに可能性を期待します。高校生だったあのときもそうでした。

もちろんそれは、他のことがらにもあてはまります。

たとえ日常のほんの小さなことであったとしても、「ああ、困った。どう考えても無理だ。どうしよう」というような局面を強いられたときには、「なるようになる」と考えるわけです。そして経験値からいえば、多くの場合はそう考えていたほうがうまくいくものです。

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