1970年代末の大ヒット曲、日本人歌手もカバーした『息子よ』で一世を風靡したフィリピンのフレディ・アギラ氏逝く

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日本をはじめ世界的な大ヒット曲となった『息子よ』のフレディ・アギラ氏。フィリピンのライブハウスで(写真・2012年11月、柴田直治)

フィリピンを代表するシンガーソングライター、フレディ・アギラ氏が2025年5月27日、マニラ首都圏ケソン市の病院で亡くなった。享年72。

英語でアメリカのポップスを歌うミュージシャンが幅を利かせていたフィリピンで母語の楽曲にこだわり、酒場のステージに立ち続けた。選挙や政治集会でも臆することなく歌い、折々の群衆を鼓舞し続けた。(以下敬称略)

世界で3000万枚の大ヒット

道を外れた息子の後悔と父母の涙をテーマに1977年に発表した「アナック(Anak)」が世界的な大ヒットとなった。約30カ国語に訳され、数十カ国で計100以上のカバーが出されて計3000万枚以上を売り上げたという。

日本では、なかにし礼が「息子よ」と訳し杉田二郎が歌ってヒットした。加藤登紀子も独自の訳で歌い、南こうせつや尾崎紀世彦もカバーした。

ほかにも貧困ゆえに売春を余儀なくされた少女を題材にした「マグダレーナ(Magdalena)」や祖国愛と団結をうたった「サリリンアティン(Sariling Atin)」など多くのヒットを放ち、オリジナル・フィリピーノ・ミュージック(OPM)という分野を代表する存在だった。

だがフィリピン人がフレディ・アギラと聞いて真っ先に思い浮かぶのは「アナック」よりむしろ「バヤンコ(Bayan ko)」(わが祖国)だろう。

1986年2月、マルコス独裁政権を追放した「ピープルパワー」政変の前後、フレディは反マルコス集会でたびたび「バヤンコ」を歌い、大群衆が唱和した。

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