1970年代末の大ヒット曲、日本人歌手もカバーした『息子よ』で一世を風靡したフィリピンのフレディ・アギラ氏逝く

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選挙のたびに政治家が近寄ってくる。政治的な変節を繰り返したようにも、政治家にいいように利用されてきたようにもみえたが、フレディは「その時々でいいと思う人を推しただけだ」と気にする素振りもなかった。

選挙集会で歌うことについては「歌と選挙は別。支持を表明しているわけではない。自分で考えて投票して、と聴衆に語りかけてきた」とあっけらかんと話した。

港町オロンガポの息子

私は2012年11月、フレディとともにルソン島中西部の港町オロンガポを訪ねた。地元自治体が「オロンガポの息子」という名誉市民の称号をフレディに付与する機会だった。

「オロンガポの息子」の彫像の隣に立つフレディ・アギラ氏(写真・2012年11月、柴田直治)

生まれはルソン島北部イサベラ州だが、ミュージシャンとしてスタートを切った街だ。ナイトクラブのステージに初めて立ち、下宿で「アナック」を書いた。

南シナ海に臨む天然の良港スービック湾を抱え、1992年までアメリカ海軍の巨大基地があったオロンガポはベトナム戦争の出撃拠点となり、アメリカ兵相手の歓楽街として名を馳せた。軒を連ねたクラブから生バンドの演奏が流れ、多くのミュージシャンが集い、腕を磨いた。

地元の市長は「この街はフィリピンのリバプールだった」と往時を懐かしみ、フレディに記念の彫像を渡した。

かつてはゴーゴーバーが立ち並んだ街の夜をフレディと歩いた。「さびれたね。見る影もない。当時のわくわくする雰囲気に比べたら、墓場みたいだ」。

出演していたナイトクラブは古着屋に、下宿は安宿になっていた。トレードマークのテンガロンハットにブーツ姿を見つけた人々が寄ってきては声を掛けてくる。気さくに記念撮影に応じていた。

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