1970年代末の大ヒット曲、日本人歌手もカバーした『息子よ』で一世を風靡したフィリピンのフレディ・アギラ氏逝く
1981年にシニアは戒厳令を解除し、大統領選に臨んだ。フレディはシニアの選挙キャンペーンに同行し「バヤンコ」 を歌った。
フレディはかつて私の取材に「マルコスは一度禁じた歌を私に歌わせることで、表現の自由を復活させたとアピールしたかったのだろう。別に問題とは思わなかった」と話した。
再び放送禁止となった「バヤンコ」
ところが元上院議員ベニグノ・アキノが亡命先のアメリカから帰国したマニラ国際空港で射殺された1983年8月を境にマルコス一家の誘いを断り、反マルコスの集会で歌うようになった。
暗殺の背後にマルコス家の気配を感じたからだという。反政府デモは各地に広がり、「バヤンコ」は再び放送禁止になった。
1987年2月、マルコス家追放後のコラソン・アキノ政権から政変1年の集会で歌うよう求められたが、断った。独裁政権が倒れた後も農地改革が進まない状況に失望し、セレモニーに資金を費やす政権の姿勢に嫌気がさしていた。
それでも政治集会からの招待は絶えなかった。2001年、当時の大統領ジョセフ・エストラダの弾劾を求める集会で、2004年の大統領選では副大統領から昇格していたグロリア・アロヨを応援するステージで歌った。アロヨがその後、非常事態宣言したことでフレディは失望を表明した。
2016年には大統領選に当選したロドリゴ・ドゥテルテの選挙集会で、そして就任式でも持ち歌の歌詞を応援メッセージに変えて歌った。その論功行賞か、ドゥテルテ政権では芸術文化担当の大統領顧問の肩書を与えられた。
2019年の上院選挙には与党候補として立候補したが、当選ラインに遠く届かず落選した。
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