老朽化の下で「可能な限り早急に学生の安全確保を実現する」ことが喫緊の課題だとして、新規入寮の停止と全寮生の退去を求めてきた。
2015年に完成したばかりの新棟の入居者にも退去を求めていたことから、寮生は「老朽化」という理由を信じなかった。
2015年まで寮自治会と大学の間で確認されていた確約書では、これまでの補修の有効性を大学側も認めていて、今後の補修も継続して協議することで双方が合意していた。老朽化を理由とした立ち退きは確約書を無視するもので、2017年当時の大学執行部が突然言い出したのだと、寮生側は主張している。
大沼さんは当時のことを振り返りながら、こう語る。
「大学は寮費と同額の家賃で住める待機宿舎を用意すると言ってきたので、そこまでやるのかと思いました。お金に糸目をつけず本気で立ち退かせるつもりだと感じました。自治寮という存在がそんなに邪魔なのかと。
寮生は当時270人いて、通告を受けた日の夜は混乱しました。夜遅くまで対応を話し合いましたが、意見はまとまりません。
みんなそれぞれに事情があるので、結局150人以上は寮を出ていきました。寮には停滞感というか、閉塞感が漂って、寮生はそれぞれに悩み、精神的にきつかったと思います」
さまざまな理由から100名近くの寮生が残り、話し合いの継続を求めたが、大学側は応じず、寮生との非公開の交渉も建設的でないとして打ち切った。大学側はその後強硬な手段に出て2019年4月以降、現棟に住む寮生と元寮生合わせて40人を提訴した。
大学側は、「『吉田寮生の安全確保についての基本方針』『吉田寮の今後のあり方について』を決定し、大学の考え方をウェブサイトに掲載するなど広く周知するとともに、退舎に向けた受け皿として、代替宿舎を希望する者には寄宿料をこれまでと同じ金額で民間の賃貸物件を提供し、早期退舎を促してまいりましたが、残念ながら、その後も吉田寮現棟に居住している者、立ち入りを続ける者がいることから、やむを得ず提訴に踏み切った次第です」としている。
これを受けた大沼さんたちは、「私たちは、大学が話し合いのテーブルにつけば現棟からは退去するという譲歩案を出したのですが、大学は聞く耳を持たず訴えてきました。訴えられたのは残念で、ショックでしたね」と語る。
経済的な余裕がない院生にとって大事な場所
大沼さんは、2018年度の後期以降に合計2年の休学をして、アルバイトや、寮の存続のための活動に時間を費やした。また就職活動をして7回生で内定も得たが、卒業後は大学院の修士課程に進学することを決意する。
それは、寮を守る活動とも、関係があった。
「必要に迫られて吉田寮の歴史を調べ、昔の資料を読み込んでいくうちに、大学やそこで学ぶ学生の自治や運動に関する歴史をもっと学びたい、研究したいという気持ちが芽生えてきました。
1925年に治安維持法が公布されるなど、1920年代に大学の思想統制が強まり、1930年代後半になると学術動員や学徒動員へと進んでいきます。そういう状況の中でも大学には自治の観点があり、政府や文部省も必ず一枚岩ではありませんでした。
戦前期の日本における大学自治がどのように意識され、その中で学生の自由や自治はどのように考えられていたのかをテーマにした修士論文に取り組みました」
修士課程に進学して大沼さんが感じたのは、経済的な余裕がない修士の院生にとって、寮での暮らしは助かる場面が多いということだった。
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