「修士課程への進学当初はわからないことばかりなので労力もかかりましたし、自分でテーマを決めて調べていかなければならないので時間がとても必要でした。最初から要領よく進めていくことができる人はほとんどいないと思います。研究に割く時間が切に必要でありながら、修士の院生は経済的にも厳しい環境にある人が少なくないように感じています。
私も研究に加えて、アルバイトの疲労や裁判とも向き合ってきて、驚くほど時間がありませんでした。修士論文を書いている時期はアルバイトも減らし、学部時代に作った貯金を食い潰し、知人にお金を借りてやりくりしました。もし寮がなかったら、修了に至らなかったと思います」
大学院に進学する学生が減少傾向にあるのは、経済的負担の大きさも背景の1つだ。
大学が入学者に対して「入寮禁止」の文章を配るこの5年ですら、経済的な理由によって、吉田寮へ入寮する、修士課程の院生は少なくなかった。大沼さんは、寮での交流も重要だと感じている。
「博士課程に比べると、修士課程の院生に対する経済支援は限られていて、数少ない情報を自分で見つける必要があります。また、限られた時間を有効に使うためにいいアルバイトを見つけることも必要です。そういうニーズに対して、寮は貧乏人の集合というか(笑)、そういう情報が自然と集まるところがあるので助かります。
それに、院生が過ごす場所は研究室がほとんどです。研究室のコミュニティ中心の生活を送るものの、気軽に話せる相手がほかにいなかったら、研究に行き詰まったときや、精神的に追い込まれてしまったときに思い詰めてしまいます。実際にそれで大学院を辞めていく人がいるという話も聞きます。
私も研究が行き詰まった時期がありました。そのときに、寮でほかの分野の院生や学部生と話すことが息抜きになります。1人で煮詰まったときには、振り切って寮生と鍋を囲んだこともありました。精神衛生を保つうえでも、寮に住んでいてよかったと感じました。経済的に苦しく、忙しい大学院生にとっては、寮は1つの社会資源だと思っています」
京大の教授たちも声明文を発表
裁判は一審判決が出たものの、これからも高裁での審理が続く。
寮自治会では判決を受けて、「控訴をせず訴訟を終わらせること、および確約を引き続き、団体交渉を再開すること」を求める声明を出した。
また、京都大学の教員と元教員の42人も、湊長博総長らに対して声明文を提出。判決は「対話の価値や自治の価値などを認めさせた歴史的判決だったと言っても過言ではない」として、控訴を断念することと、寮自治会との対話を再開することなどを求めた。
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