「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法
フランクファートが例にあげているのは、独立記念日の演説を行い、建国者、星条旗、ママ、アップルパイを大げさに称賛する、傲慢で熱狂的なアメリカ人だ。この男がアメリカについて実際にどう考えているかは重要ではない、とフランクファートは言う。
心から愛しているかもしれないし、憎んでいるかもしれないし、無関心かもしれない。それはどうでもいい。肝心なのは……。
ウンコな論者の目的は、ただ1つ……、聞き手に自分をある種の人物だと思わせることだ。愛国者、道徳の化身、思いやりのある親切な人など、個人的利益を生み出すものならなんでもかまわない。
フランクファートによれば、「ウンコの本質は、それが誤りではなく、でっち上げだということだ」。
ヨーホーは悪い行為を目撃された。同じ仕事をしている女性に近づいて、悪態をついたのだ。自分と政治的姿勢を異にするという許しがたい罪を犯したとして。
目撃された際に、正しいのは謝罪することだった。ところが彼は罵り言葉を口にして、他人(悪態をついた女性ではなく政治家仲間)に対して自分のイメージづくりを試みたのだ(これはゲリラ的現象ではない。現代の共和党員によって芸術形式にまで高められたかもしれないが、政治家の雄弁な演説の歴史によって、両陣営からの山のような罵詈雑言が明らかになっている)。
「気分を害したら申し訳ない」は謝罪よりも非難に近い
もう1つ、誠実さに欠ける典型的な謝罪がある(ヨーホーもそのバリエーションを採用した)。
「気分を害したら申し訳ない」という決まり文句だ。もちろん、これは謝罪よりも非難に近い。裏を返せば、「私は何も悪いことをしていない」と「あなたは頭が悪いから、私が悪いことをしたと思って動揺している。あなたがそれほど頭が悪くて残念だ」を同時に言っているも同然である。
謝罪は悪い行為を帳消しにするわけではないが、心の底から誠実に気持ちを伝えれば、傷を癒やすのに役立つ。逆に、自己保身に走ったり、言葉をにごしたり、誠実さに欠ければ、なんの意味もない。心から許しを請う言葉でなければ。
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