「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法
ここまでは申し分ない。実際に口にした言葉ではなく、会話中の「無愛想な態度」に対して謝罪を求められているとは思わないが、とりあえず、そういうことにしておこう。
誰に謝っているのかもわからない、さんざんな内容
これはまずい。何かに謝罪をしていると主張する人が、理由もなく妻や子どもを持ち出したら、警鐘を鳴らすべきだ。自分は悪い人間ではない。私を愛している人がいて、自分自身も親だから。
さらに、問題の出来事が起こったことを否定すれば、それはちっとも謝罪ではない。もし起こらなかったのなら……、なぜ謝るのか? そして最後に、「そのように解釈されたのであれば」? オカシオ=コルテスは「ファ〇〇ング・〇ッチ」という表現をどう「解釈」すべきなのか? 滑稽な、悪気のない冷やかし? だが、とりあえず議員には続けてもらって、この列車を線路に戻せるかどうかを見てみよう。
だめだ。余計に脱線した。車輪がレールから外れかかり、計器盤で赤い警告ランプが点滅し、モーターから不吉な煙が出はじめる。
テッド、どうしたんだ? なぜきみの家計の歴史を物語っている?
謝罪をしているはずではなかったのか。
……もはや、ついていけない。きみはここで何をしているのか? どの人々? 誰が法を犯そうとしたのか? 何の法だ? いったいきみは何の話をしているのか?
まさに拷問のような文章だ。あたかも最初に「私は誓う」とタイプして、そのあとは「自動予測テキスト」ボタンをひたすら押しつづけたかのようだ。そしてついに、最後に、このちんぷんかんぷんのサンドイッチに無意味な爪楊枝を刺した。
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