「気分を害したら申し訳ない」はなぜダメなのか? 謝るときの不快感を乗り越えて正しく謝る方法

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私は自分の情熱に対しても、神を、家族を、そして我が国を愛していることに対しても謝ることはできない。

つまり、要約するとこうなる……。

私は謝罪するためにここにいる。しかし謝るつもりはない。

私がしたと思われていることは、実際にはなかった。

皆さんは誤解している。ある時期、私は貧しかった。

神とアメリカを愛していることも謝らない。

ヨーホー退場。

さんざんな謝罪だ。自分が誰に謝っているのかもほとんど理解しておらず、起こった出来事を否定し、どういうわけか食料配給券の話を持ち出した挙句、自身のひどい資質を謝罪することを独善的に拒否した。誰にも頼まれていないにもかかわらず。これは明らかに謝罪ではない。

それは謝罪ではなく自分のイメージづくりでしかない

ハリー・G・フランクファート(1929〜)はプリンストン大学名誉教授で、専門は道徳哲学だ。かつてはイェール大学でも教え、オックスフォード大学のオール・ソウルズ・カレッジの客員研究員を務め、グッゲンハイム財団およびメロン財団から助成金を受け、“ウンコ”について1冊の本を書いた。

具体的には、1986年に論文として発表し、2005年に(愛らしいほど小さな)本の形式で出版した『ウンコな議論』である。この本は一大現象を起こし、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに27週間にわたって掲載された。

おそらくその理由は、彼が冒頭に記しているように「我々の文化の最も顕著な特徴の1つは、いたるところにウンコがあること」だからだろう。フランクファートはウンコと嘘をつくことを区別している。

「嘘をつくのは、明確な焦点を伴う行為である。一連の信念もしくは信念体系の決まった所に特定の虚偽を挿入することが意図され、その目的は、その箇所が真実で占められる状態を避けることだ」

言い換えると、嘘つきは真実を知っていて、故意に正反対のことを言う。それに対して、ウンコな論者は「真実に対する関心に拘束されない」。何が真実かということには関心がなく、自分のイメージをつくり上げ、聞き手を感化したいだけだ。

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