中山秀征『夜もヒッパレ』に見たプロの仕事術 安室奈美恵らと作り上げた「妥協なき華やかさ」

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24時間テレビで復活した「THE夜もヒッパレ」
2023年8月26日、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う46』内で放送された「24時間もヒッパレ! 明日へつなげたい名曲TOP10」では懐かしいメンバーが集まった。右から4人目が筆者(画像:中山秀征Instagram @hidechan0731)
14歳でデビューして以来40年以上にわたり、バラエティ番組や情報番組の司会、俳優、歌手として活躍している中山秀征さん。現在は日本テレビ系の『シューイチ』でMCを務めていますが、テレビタレントとしての原点は『DAISUKI!』(1991〜2000年)と『THE夜もヒッパレ』(1995〜2002年)にありました。本記事では中山さんの著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』から一部を抜粋・再編集し、『THE夜もヒッパレ』制作の現場で繰り広げられていたプロの仕事術についてご紹介します。

苦肉の策で生まれた『THE夜もヒッパレ』

『DAISUKI!』と並ぶ、中山秀征のもう一つの原点が、日本テレビ系で放送されていた『THE夜もヒッパレ』(1995〜2002年)です。番組が始まったとき、僕は20代後半でした。

放送終了から20年以上経った今も、「24時間テレビ」などで何度か復活していますが、その都度、音楽バラエティならではの楽しさと充実感、そして、ハンパない緊張感が蘇ってきます。

「ヒッパレ」は妥協を許さない"プロの仕事場"でした。

最新のヒットチャートを、本人以外のアーティストが歌う……という「ヒッパレ」の企画は、実は苦肉の策で生まれたと聞いています。

番組が始まった90年代中頃は、ドラマやCMのタイアップからミリオンセラーが次々と生まれていた"J‒POP黄金期"。アーティストにとっては、それまでのように歌番組に出なくても色々なメディア戦略でCDが売れるようになっていました。

つまり、誰もが知るヒット曲は多いけど、全てのアーティストが歌番組の出演に積極的なわけではないーー。そんな状況が「本人以外のアーティストが最新のヒット曲を歌う」という"発明"につながったそうです。

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