中山秀征『夜もヒッパレ』に見たプロの仕事術 安室奈美恵らと作り上げた「妥協なき華やかさ」
他のバラエティ番組でよく顔を合わせていた出川哲ちゃん(出川哲朗)や、ダチョウ倶楽部のみんなから「『ヒッパレ』には出たい。でも出るのは怖いよ。だってスタジオの緊張感がハンパないからね」とよく言われました。
出演者、スタッフ、全員がプロ、妥協を許さない空気が番組づくり全体に漂っていました。
「ヒッパレ」は、その後増える「芸能人カラオケ番組」の"元祖"と言われるようになりましたが、僕の捉え方は少し違います。
この番組はきっちり稽古して、完璧なショーをお茶の間に届ける、テレビ創成期から続いた「音楽バラエティ番組」の系譜を受け継ぐ"最後の番組"だという位置づけです。
熱と憧れが生み出すもの
『THE夜もヒッパレ』の放送がスタートした1995年は、野茂英雄さんが"憧れの"MLBのマウンドに立ち新人王を獲得した年です。
この時、すでに芸能界で十年選手だった僕も、「ヒッパレ」の現場では、まるで新人のような気持ちになっていました。
麹町にあった日本テレビのスタジオに足を踏み入れると、ステージ袖では葉巻を片手に談笑する堺正章さんや井上順さんの姿。ステージ上には、グッチ裕三さん、モト冬樹さんのビジーフォー、生バンドや大勢のダンサーもいる。
そんなきらびやかな場で、若き日のベッキーやSHELLY、沢尻エリカさんが汗をかきながらリハーサルをしている。
目の前に広がる光景はまさに、子どもの頃に憧れていた"キラキラしたテレビの世界"。その"キラキラ"は画面に映らないところにまで徹底されていました。
たとえばスタジオの一角にあったBarカウンター。
そこではリハーサルから収録終了までずっと、バニーガールが2、3人、業界関係者や出演者に飲み物を振る舞ってくれます。ショービジネスの世界の住人になったようで、モチベーションが高まりました。
Barといえば思い出すのが、1人、とてもノリの良いバニーガールがいて、ある日の収録後、僕とモト冬樹さんと3人で飲みに行くことに。この頃は仕事終わりに共演者やスタッフと必ず飲みに行っていました。
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