華厳滝で投身、明治期の学生の絶筆が与えた衝撃 絶筆「巌頭之感」は今も絵葉書で売られている

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当時の新聞はまだ木版印刷が主流で、大判の写真が刷れる網版印刷が広がるのは日露戦争が始まる1904年以降のことになる。写真の価値をお金に換えるなら、絵はがきなどとして販売するのが合理的な時代だった。

ちなみに絵はがきの全国的な普及も、逓信省が1904年に日露戦争の「戦役記念絵葉書」を発行したことがきっかけで起こったといわれる。その後は観光名所だけでなく、事件や災害、騒動などを収めた写真を題材にすることが当たり前になった。「巌頭之感」の絵はがきは、その草分けといえるかもしれない。

藤村操 巌頭之感
1923年には関東大震災直後の様子を残した絵はがきも多数作られた(筆者撮影)

行政が販売停止に乗り出す

草分けと呼ぶにふさわしい反響を得たものの、流通は断続的でもあった。しばらくすると行政が販売停止やネガの回収に乗り出したためだ。やはり後追い自殺の問題が続いており、シンボルともいえる絵はがきの流通を抑える必要があったのだろう。

一方で売る側は絵はがきのストックや複製したネガを残しており、ほとぼりが冷めて販売が再開できる機会をうかがっていた。そうして再び売り出されては目立ち、目立ったら行政にストップがかけられるといったいたちごっこが繰り返された。

それはどうも過ぎ去った出来事ではないらしい。絵はがきは最近まで売られていた。そんな情報を得たので、4月某日に華厳滝に赴いて確認することにした。

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