エレベーターから降りた滝壺近くの観瀑台で営業している店に話を聞くと、「いまもぽつぽつ売れていますよ。若い人にも結構人気があります」という。販売を開始した時期は思い出せないくらい前とのこと。
かつては華厳滝周辺で広く扱っていたが、現在は販路を絞って、細く長く売っているということのようだ。派生商品などはなく、ただ一枚の写真だけを売り続けているという。
なお、エレベーターの降り口から観瀑台に向かうトンネルの中には、華厳滝に投身した人々を慰霊する像が置かれている。1966年9月に作られたものだ。
以前は自殺と結びつく場所ではなかった。観光資源であり、自殺に誘う危険をはらむもの。慰霊の像は、「巌頭之感」が生んだ光と影が60年にわたって消えなかったひとつの証拠といえるだろう。
青山霊園にも「巌頭之感」
慰霊の像が捧げられてさらに約60年。2024年現在もオープンにされている「巌頭之感」が実はもうひとつある。東京都の青山霊園にある藤村家の墓地に置かれた記念碑だ。
華厳滝付近の石にあの絶筆を刻んだもので、藤村の叔父で歴史学者の那珂通世が主導して1909年に建てたと伝わる。碑を製造する段階では現物のミズナラはとうに伐採されていたので、絵はがきと同じ写真をベースに彫ったとみるのが自然だろう。いわば現在に残るレプリカのひとつだが、現在流通している写真よりもずっと古い。
社会学者のデイビット・フィリップスが、マスメディアの自殺報道が自殺を誘発する現象に「ウェルテル効果」と名付けたのは1974年。それから数十年かけて日本にも警戒感がじわじわと浸透していった。
いまの世の中は第2第3の「巌頭之感」を生まないだろう。オリジナルの「巌頭之感」も新たなグッズが作られず、販路も細くなっている。時代に許された頃の資産を引き継いでいるに過ぎない状態だ。これからさらに60年後に同じように市井に残っている姿は……なかなか想像しづらい。
「巌頭之感」のレプリカはそうした危うい位置に立っている。けれど公に存在しているなら、腫れ物とせずに堂々と鑑賞してよいと思う。それが許容されるうちに。
猪股忠著『追跡 藤村操 日光投瀑死事件』(V2ソリューション)
島原学著『日本写真史(上)(下)』(中公新書)
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