プロレスにはいわゆるプロテストのようなものはなく、プロレス団体の入門試験に合格することでプロになれる。川邉弁護士がユニオンプロレスの入門試験に合格したのは2005年。プロデビューは同年11月。東大の学部を卒業し、2度目の試験に挑戦していた時期だ。
ロースクール時代はもちろん、新試験2回の受験中も家族に黙ってプロレス活動を続けていた。さすがに試験直前に試合に出ることは、ケガで受験ができなくなるリスクがあったので回避していたが、とても司法試験に合格できるような集中度で勉強をしていたとは言い難い情況だった。
プロレスは「クビ」になるまでやる
2度目の新試験不合格を機に、団体に「必ず帰ってくる」と約束し、勉強に集中し無事合格を果たしたのが2011年。司法修習中は原則兼業禁止。最高裁に許可願いも出したが却下され、2013年に復帰した。ただ、弁護士業務との両立では、かつてのような練習量が確保できるわけもなく、現在の試合出場頻度は1カ月に1度程度だという。
弁護士業務の方は、イソ弁として1年ほど事務所勤務をした後、司法修習同期3人と弁護士法人を設立、川邉弁護士は横浜の事務所担当だが、実質一人事務所を経営していると言っていい。現在は一般民事が中心だ。
川邉弁護士は、自称「誘惑に負けやすく、すぐいい気になる弱い人間」。プロレスラーは、ともすると人から蔑まれる職業なので、「どこへ行っても先生、先生と言われていると、つい、いい気になるが、プロレスを続けていることで人としての平衡感覚を維持出来る」と話す。
もっとも、そんな川邉弁護士を長年叱咤激励し続けた妻からは、「プロレスをやりたいがための言い訳だと言われるし、その通りかもしれない」。
そのプロレス、いつまで続けるのか。「観客を呼べなくなれば、いずれ団体から引退を通告される日が来る。その日は自分が思うよりも早くやって来るはずで、その時がプロレスから引退する日」だそうだ。
プロボクサーになるために、弁護士になる
最後はプロボクサーと弁護士という「二足の草鞋」をはく坂本尚志弁護士(現行62期)。坂本弁護士も福井県の名門・福井県立高志高校から1浪で東大法学部に進み、旧司法試験に合格して弁護士登録に至った、エリートを想像させる経歴だが、その紆余曲折ぶりは川邉弁護士の上を行く。
漠然と弁護士を志したのは高校時代。弁護士を目指す同級生に影響を受けた。東大法学部では3分の1が国家公務員上級、3分の1が好待遇の民間企業、残り3分の1が司法試験を当たり前に目指す。その環境の中で漠然と旧試を受験し続け、3回目で合格。ここまではよかった。
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