数字はこうして、ミカエルがホテル滞在で感じたのとまったく同じ影響を痛みに対しも及ぼしている。
数字は経験を小さくまとめる。もちろん痛みの場合なら経験を小さくすればよい面もあるだろうが、問題は、数字が私たちの医療経験と病状にまで影響を及ぼす点だ。
もっと悪いことに、少なくとも映画を見るのが好きな人の場合、数字は私たちの映画体験まで小さくまとめてしまう。
1本の映画は1時間から2時間の間に、笑い、緊張、驚き、そしておそらく涙と、じつに多くのものをもたらしてくれるわけだが、見終わった後にその映画を評価すると、こうした印象のすべてが(ほとんどの場合は)1から5までの小さなひとつの数字にまとめられることになる。
そして残念なことに、映画に数字を当てはめる回数が多くなっていけばいくほど、時間とともにその数字は低くなっていく。
アメリカの研究者たちがネットフリックスの数十万件にのぼる映画評価を分析し、そのパターンを見つけた。同じ人が新しい映画を採点していくたびに、高い数字を選ぶ確率がわずかずつ下がっていくのだ。痛みの数字の場合と同様、指定できる段階の中央近くに集まりはじめる。
幸福の度合いも下がっていく
さらに悪いことに、数字は私たちの幸福な経験まで小さくまとめてしまう。ミカエルが1000人の人たちに頼んで数週間にわたって仕事、自由時間、健康、人間関係といった暮らしのさまざまな領域について感じた幸福の度合いを採点してもらったとき、そのことを発見した。
2週目、3週目と時間が過ぎるにつれて、参加者が暮らしのすべての領域で感じた幸福の度合いは、平均して下がっていく。
数字はあらゆる経験の中から豊かでユニークな部分を奪い去り、どれもが正確で、比較できるものだと思わせてしまう。私たちは個々の経験を比較すればするほど(そのたびに、ほとんどの場合はまったく無意識のうちに採点すると)、どの経験も特別なものとして目立つことが難しくなり、高得点が減っていく。